運動部活動の今後
中学や高校の運動部活動は試行錯誤を重ね、何度もその目的や理念が変化した歴史がある。
19世紀後半に日本に浸透し始めた学校現場での運動部活動だが、20世紀初頭には本来の「楽しむ」という目的が薄くなり「勝利至上主義」が定着し始めた。その後昭和に入り日本が戦争に突入すると、戦闘を意識した内容に変わっていき、目的が戦意高揚になった。そして終戦後には一転して、スポーツ自体が「民主義的な人間形成の手段」に位置付けられる。
さらに変わるのは、東京オリンピックを目前に控えた1960年代である。運動部活動は「誰もが気軽にスポーツを楽しむ場」から「選手養成の重要な場所」へと変容し、「競技力向上が教育的にも重要だ」とする見方が主流になっていった。
1970年代にはその反動から「一般生徒が参加できない」部活動が問題視されるようになり、「必修クラブ活動」の制度が導入された。これにより価値の高い経験を全ての生徒が得られる環境になったが、その裏で教員の肉体・心理・経済的負担が拡大したり、歪んだ根性論により生徒が死亡したりする事例が多発する。現在は、生徒に対する体罰やパワハラこそ減少傾向にあるが、教員の劣悪な労働環境は依然として改善されていない。
今後求められる運動部活動の意義は何だろうか。スポーツに対しての考え方・捉え方がバラバラである全ての生徒が、大人になっても運動好きでいられるような経験を提供することではないだろうか。
そのためには、部活・クラブを能力や習熟度に合わせて複数用意して辛い思いをする生徒を減らすとともに、地域や行政の力を借りたうえで外部指導員・OBや校外施設を活用して教員の劣悪な環境を改善する必要がある。
さらに大人になってスポーツに関連する仕事に携わる人を一人でも多く増やすことも社会的役割であると考えている。関係者が増えることでプロ、アマを問わず運動競技全体が盛り上がり、子供がスポーツに関わる機会を少しでも増やせるからだ。
一方、教員の劣悪な労働環境は思い切って改善すべきだと考える。多くの中学や高校の運動部活動はその学校の教員を顧問として起用するケースが大半で、競技経験がないにも関わらず、半ば強制的に顧問をさせられることになりかねない。これでは、教員もそのもとで活動する生徒も双方がストレスを溜め込む。公立学校の場合、教員が部活動等に従事しても残業代を受けることができない。つまり、教員は「やりがい搾取」の被害者であり、多くがこのサービス残業に大きな不満を抱いている現状がある。
さらに教員の長時間労働や早期退職、最悪の場合には過労死につながる。運動部活動をする場合、どうしても生徒に対する待遇の改善や部活内の改革が注目されがちだが、教員が後ろから支えているからこそ生徒が伸び伸びと活動できている現実を忘れてはいけない。外部人材も活用して、まず競技経験者に担当する部活動を割り振り、可能であれば多くの教員を顧問とすることが望ましい。それにより一人当たりの負担を軽減するとともに、部活動に従事する時間に残業代を支給する法制度を整備することなどが急がれる。
参考記事:
・2026年4月4日付 朝日新聞(日刊)(東京) 26面 「「部活動改革」試行錯誤の現場」
・2026年4月16日付 日経電子版 「部活指導教員、小中兼業で 地域移行で人材確保」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF158PB0V10C26A4000000/