全国で活躍する盲導犬が768頭であるのに対し、聴導犬はわずか52頭。その差はなぜ生まれるのか。日本聴導犬推進協会(埼玉県ふじみ野市)の水越みゆき事務局長に話を伺った。
三重の壁
聴導犬の頭数が増えない背景には、大きく3つの課題がある。育成コスト、訓練士不足、そして制度設計の不備だ。
1頭の聴導犬を育てるには、訓練士の人件費や設備費を含め、約300万円の資金がかかるとされている。その費用のほとんどは企業や個人からの寄付、イベント会場での募金によってまかなわれている。安定した財源があるわけではないのが現状だ。
次に訓練士の問題だ。聴導犬の訓練士は、動物を相手にする過酷な仕事でありながら、給与は決して高いとはいえない。生き物相手の仕事である性質上、複数の訓練士が交代で担当することも難しく、1頭の聴導犬の育成に、1人の訓練士がつきっきりで関わることになる。ワークライフバランスが重視される今、なり手は減っている。
基準はあっても、底上げが必要
制度の問題も根深い。日本補助犬情報センターによると、聴導犬の育成団体として2025年6月時点で18団体が届出をしているが、実際に訓練にあたっているのは13団体、さらにここ5年間で年平均1頭以上を認定できているのはわずか2団体だ。
団体の数だけあっても、共通の具体的な基準が存在しない。聴導犬が身につけるケープの色すら、団体によってばらばらだ。盲導犬が白または黄色のハーネスという統一されたシンボルを持ち、広く社会に認知されているのとは対照的である。訓練が不十分なまま障害のある使用者に引き渡された場合、結局「普通の犬」と変わらない状態になることもあるという。
水越さんは「基準の底上げが必要」と訴える。最低ラインとしての基準はあっても、それが形骸化しているのが現状だ。
聴導犬を含む補助犬は、身体障害者補助犬法に基づき訓練・認定される。しかし同じ補助犬でも、その法的整備には大きな差がある。盲導犬はもともと1978年の道路交通法によって法的に位置づけられていたのに対し、聴導犬・介助犬に公的認定制度ができたのは2002年。制度の歴史の差が、現在の頭数や制度の成熟度、社会的な認知度の差につながっていると指摘する。
29年間、「やるからには責任をもって」
水越さんが聴導犬の育成に関わり始めたのは、今から29年前のこと。もともとは警察犬の訓練士として働いていた。聴導犬育成の担当を打診された当時、日本にはまだ育成団体がほとんどなく、手探りの状態だった。水越さんは1ヶ月間アメリカに渡り、現地の育成団体で学んだ。「やるからには責任をもって」。その一心で、この仕事を続けてきた。
特に力を入れるのが、使用者教育である。聴導犬を受け取ったあと、使用者がどれだけその犬とともに社会に出ていくかが、普及の鍵を握ると考えているからだ。「聴覚障害をもつ人が、実際に社会参加することに意味がある。ただ犬を飼っている状態ではだめ」と語る。
負のループを断ち切るために
水越さんが懸念しているのは、聴導犬をとりまく「負のループ」だ。社会参加する聴導犬の頭数が増えなければ、人の目に触れる機会も少ない。認知されなければ支援も集まらない。支援がなければ育成も進まない。そしてまた頭数が増えない——。
「本当にちゃんと社会参加できる聴導犬を育てていくことが、私たちには必要だと思っている」。使用者が聴導犬とともに街に出ることが、社会の認識を変え、聴覚障害者への対応を変えていく。そのための聴導犬育成であり、使用者教育だという。
一人の市民としてできること
「私たちの仕事は、聞こえない人たちと犬たちを繋いでいく仕事。繋いだ責任は果たしていかなきゃいけない」と水越さんは言う。29年間、その責任を背負い続けてきた言葉には重みがあった。
そして、その責任を社会全体にも問いかける。「社会で受け入れる責任がある。まずは自分以外の立場の人たちに対して興味をもってもらいたい」。聴覚障害者だけでなく、視覚障害、知的障害、肢体障害——それぞれの立場で生きる人たちへの想像力をもつこと。それが出発点だと語る。
制度を変えるのは政治家や行政だけではない。聴導犬の存在を「知っている人」が増えることが需要を生み、行政を動かす。育成団体への寄付や募金も、その一歩になる。まず「知ること」、そして「想像すること」が、52頭という数字を動かす力になる。