[後編] 「違う人生を選ぶ可能性もあった」- 日米共通「私たちの一つの教科書」プロジェクト(学生インタビュー)

[前編] http://allatanys.jp/features/18389/

アメリカ留学中に、真珠湾攻撃と原爆投下を扱う日米共通の歴史教材を作った学生がいます。彼女は何を思いプロジェクトを企画したのか。[後編]では、その軌跡と想いを探ります。

歴史教材(日本語版)の表紙

私が初めに尋ねたのは、戦争や平和に興味を持ったきっかけでした。悩みながらも自然な答えが返ってきました。「自分の興味とは、マイナスでもプラスでも、心を動かされるような経験が人生で重なっていって、それが何か大切なものになっていくみたいな、そういう感じなのかな」。いくつか印象に残っている幼少期の出来事があるそうです。その一つが、被爆者が小学校に来て、話をしてくれたこと。「私が住んでいる世界は、すごく緑がいっぱいあって平和な感じだったので、戦争という、命が本当に自分のコントロール外にある極限の世界からのギャップをすごく感じた」。ここが出発点だったかもしれないと振り返ります。

その後、中学時代に良い歴史の先生に出会い、高校時代には長崎を訪れる機会にも恵まれました。そういった経験に加え、日本が戦争の加害者であった歴史を知ったことが、自身に大きな影響を与えたそうです。

彼女にとって、学校は大切な場所でした。歴史に出会い、また心を動かされる瞬間がたくさんあったから。それが、彼女に「教育」というもう一つの軸を与えました。「私が面白いなと思うのは『国』というものがあるということ」「国同士が国を超えて協力することができるのか、教育でそれがどれくらい可能なのか、すごく興味がある」。今は平和教育や国際教育に興味を持ち、大学の教育学部で学んでいます。

教育には、「全ての原点は教育だ」と思わせるような力があると思うか。私が社会問題に触れるたびに考えてきた問いです。そう尋ねると、意外にも冷静な答えが返ってきました。「結局行動を求めるかは、相手がその状況を知っているかどうか。それを知っていて行動しないのなら、それはいいかなって思っちゃう。でも知らないままで、ただ思考停止状況ならば、知る必要があるかなって」。歴史教材の製作を含め、今までの活動には「知ってもらう」ことを目的の一つとしたものが多かったと回想します。

そうした点で教育の大切さを強調する彼女ですが、それに傾倒しているわけではありません。「ある意味、教育が好きだけれども、教育に対してすごく疑いを持っている」。そう言って取り上げたのは、社会階層に関する理論でした。

社会階層の構成要素には、経済的な格差だけでなく、教育や社会的マナーなど様々なものが影響しあっています。教育は、平等や平和を実現するツールであると同時に、分断を生む原因にもなっています。実際、歴史教材作成に携わったメンバーの出身校を聞いても、都立の上位校ばかりで、出来上がった教材が紹介されたのも、彼らの母校が中心でした。「教育を信じているだけの、何も見えない人になっちゃいそうですごく嫌だ」「もっと必要とされているようなことをやる人になりたい」。そういった言葉の端々からは、教育の力を評価しつつも疑問を抱え、その限界に葛藤する姿が窺えました。

最後に、今後の展望について尋ねると、とても正直な答えが返ってきました。「具体的な将来は一年前くらいに決めようかな」「自分ってすごく変わっちゃうんだなって、正直実感してしまったから」。実は、彼女は大学を一度やめ、別の大学に入り直しています。国際関係や安全保障を中心に学ぶ学部から、教育学部への変更です。

「違う人生を選ぶ可能性もあったんだよね。別の人生でも、ほんとにすごく楽しかっただろうなって今思っていて、選んだ後でちょっと悲しい。だけれども、自分はこう生きたいっていうのを選んでやってきた。それで失ったものもたくさんある。ほんとに人それぞれだなって思った」

たとえ選択が多少間違っていたとしても、きちんと自分で選んでいることへの自信が、大きな力になっているようでした。迷いながら生きていく輝きに、久しぶりに希望を見た気がします。