【特集】川崎バス闘争から考える JR乗車拒否の問題点とは

 

<はじめに>

今年の春、コラムニストの伊是名夏子さんが執筆したブログがネット上で論議を巻き起こしました。車いすを利用する伊是名さんがJR東日本の無人駅で下車しようとしたところ、事実上の拒否にあったという体験に、SNSでは「わがまま」「周りに感謝の気持ちを忘れないこと」など様々なコメントが寄せられています。(※問題の詳細はこのページで読めます)本日のあらたにすでは、伊是名さんの行動はわがままなものだったのか、障がい者差別と闘ってきた人々の歴史を振り返りながら考えたいと思います。

 

<町田で見つけたリフト付きバス>

町田駅から徒歩15分。多くの人でにぎわう繁華街を抜け、住宅地に入っていくと子ども発達センターが見えてきます。この建物では町田市に住む0歳から17歳までの障がいのある子どもや発達に遅れや不安がある子どもらを対象に専門的な助言や療育が行われています。筆者は隣にある市立図書館をよく利用するため、センターに入っていく家族の姿を目にすることがあります。

この建物の外には象徴的な展示物があります。「やまゆり一号」です。町田市のホームページによると、やまゆり号は町田市といすゞ自動車が共同開発した車椅子のまま乗車可能なリフト付きバスとのこと。「車椅子の方々が安心して病院等に出かけることが出来るように」、そんな思いから、1972年2月16日に運航を開始しました。日本初のリフト付きバスによる移送サービスとして80年まで続きます。町田市の試みは日本全国に広まり、障害福祉に大きな足跡を残しました。

 

(6月29日、筆者撮影)

 

<差別と闘う障がい者たち>

しかし、いくらリフト付きバスの運行が完成したとはいえ社会の理解は発展途上の段階です。70年代の日本では、車いす利用者のバス乗車拒否が相次いでいました。そのことを象徴するのが神奈川県で起きた川崎バス闘争です。77年4月12日に起こった、脳性まひ者の運動団体「青い芝の会」による乗車拒否抗議のことを指します。2018年12月19日に朝日新聞に掲載された記事には、闘争が起きた当時のことを以下のように振り返っています。

 

車椅子の人たちがバスや電車に乗る。そんな風景も、かつて当たり前ではない時代があった。
「なぜ私たち脳性マヒ者はバスに乗れないのか? みなさんと同じ人間ではないのか」。1977年4月12日、国鉄(当時)川崎駅前のバスターミナルでは、拡声機から放たれる叫び声が響き、騒然としていた。車椅子に乗った数十人の脳性マヒの人たちが、介護人に車椅子ごと抱えられ、バスに乗り込んで次々と「占拠」し、35台を運休においやったのだ。(中略)白石清春さん(68)=福島県郡山市=は、ハンマーでバスの窓ガラスを割り、拡声機で叫んだ。乗客から「迷惑かけるな」と言われた。それでも、午後11時に警察官に外に引きずり出されるまで、抵抗を続けた。なぜ、こんな過激な行動に出たのか。「車椅子のバス乗車拒否が立て続けに起きていた。バスに乗れなければ、車椅子の私たちは自由に街に出られない。そんな差別は許せなかった」と、白石さんは言う。

 

記事ではこの闘争は敗北だったかもしれないと結論付けています。しかしそれでも障がい者の交通アクセス権運動の象徴として記憶され、「行政側が障害者の要望について耳を傾ける大きなきっかけになった」と語られています。

また荒井裕樹さんの著書『障害者差別を問いなおす』では、障がい者がバスに乗るのは「恩恵」なのかどうかに言及しています。運輸省、交通局、バス会社、バス労組は、青い芝の会の主張を、<恩恵を施す善意的態度>でしか捉えることが出来ていませんでした。つまり、「乗務員や乗客の迷惑にならない範囲でのみ、障がい者もバスに乗ってよい」とする姿勢です。

この考え方は健常者である私たちにも当てはまるかもしれません。もしこの社会の多くの人が、「障がい者は<恩恵>としてのみバスに乗ることが許される」と考えるとしたら、新しい技術や設備自体、そうした価値観に基づいて開発されることになるはずで、そうやってできた技術や設備は障がい者の味方になるのでしょうか。

荒井さんは青い芝の会のメンバーである横塚晃一氏の『母よ!殺すな』の一部を紹介します。

 

まず、介護人というのは特定な人がやるものであるという発想自体がまちがいであり、この社会を構成する健全者すべてが介護人であると我々は考えているし、そうした考えにたてば、街ゆく人も、バスの乗客も、障害者本人が介護を依頼し、それに手をかした人はすべて介護人であるはずです。

 

<JR乗車拒否問題について>

冒頭の問題に戻りましょう。JR東日本の無人駅で下車しようとしたところ、事実上の拒否にあったという体験に、SNSでは「わがまま」「周りに感謝の気持ちを忘れないこと」など様々なコメントが寄せられたと書きました。川崎バス闘争のことを知ったうえで改めて伊是名さんの行動はわがままなものだったのか考えます。筆者はSNSに寄せられたコメントを見ていると、ほとんどの人が<恩恵を施す善意的態度>を取っているように思いました。荒井さんの言葉を借りると、自分は障がい者に対して<恩恵を施す>側にいるのだと無意識かつ漠然と考えているひとたちがまだまだ多くいることを浮き彫りにしたのが今回の問題の本質だったのではないでしょうか。新しい技術や設備にばかり頼るのではなく、私たち一人一人が介護者という意識を持ち、善意的態度を改めるべきだと感じました。

 

<やまゆりの花言葉>

最後に取材をしていて疑問に思ったことがあります。それは冒頭のリフト付きバスや老人ホームなど社会福祉施設・設備にはどうして「やまゆり」とつくのだろうということです。多くの障がい者が殺傷された相模原の施設も「やまゆり園」でした。インターネットでやまゆりの花言葉を調べたところ、人生の楽しみ・飾らない愛・高貴な品質といった意味があるそうです。健常者、障がい者すべての人が花言葉のような人生を送れたらいいなと思います。

 

参考記事:

2021年6月28日朝日新聞デジタル版「共生社会どう考える? やまゆり園近くの津久井高で討議

2018年12月19日朝日新聞デジタル版「(あのとき・それから)1977年 車椅子乗車めぐる「川崎バス闘争」 バリアフリー社会の契機に

 

参考資料:

荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』ちくま新書、2020、第6章

町田市ホームページ・日本で最初の車椅子のまま乗車可能なリフト付きバス「やまゆり号」

朝日新聞GLOBE「「わきまえる障害者になりたくない」JR東の対応に声上げた、車いすの伊是名夏子さん