1981年、長崎にあった被爆者が暮らす養護施設を訪れたローマ法王は、被爆者たちに言いました。
「皆さんは絶えまなく語りかける生きた平和アピールです」
職員だった被爆2世の男性は、この言葉に引き金をひかれ、体験者の聞き取りを開始。集めた証言を文集や劇にして、体験を語り継ぎました。
広島市中心部にあるカトリック教会の神父は、ローマ法王の「戦争は人間の仕業です」という言葉に、ハッとしたそうです。
「人間の仕業で起こったのなら、二度と繰り返してはいけないと声を上げるべきだ」
それから、被爆者である自身の体験を積極的に語るようになりました。
当時のローマ・カトリック法王は、ヨハネ・パウロ2世。ポーランド出身で、在位中に世界を巡ったことから「空飛ぶ教皇」とも呼ばれました。ポーランド国内では、様々な場所に彼の写真が掲げられており、国民からの高い支持をうかがうことができます。
彼が生きた時代のポーランドは、人々が殺され、自由のない過酷な状況でした。隣接していたロシア、プロイセン、オーストリアの三国に分割され、1795年に消滅してから123年ぶりに独立を回復し、世界地図上に姿を現したのも束の間。
ドイツ軍の侵攻からワルシャワの街を守る碑(14日、筆者撮影)
1939年には、西からナチス・ドイツが、東からソ連が侵攻し、再び他国の占領下に置かれます。第二次大戦中には、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所をはじめとしたゲットー(強制収容所)が建てられ、政治犯と見なされた人やユダヤ人たちが収容、拷問、虐殺されました。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(11日、筆者撮影)
戦後、ソ連影響下に組み込まれ、社会主義体制が敷かれました。それまでのポーランド文化や制度は否定され、自由な信仰も認められませんでした。
復興したワルシャワの旧市街地(15日、筆者撮影)
人間が人間に限りなく卑劣で残酷な行いをすることが「正義」とされる「戦争」の恐ろしさを目の当たりにしてきたヨハネ・パウロ2世。苦難の時代を生きた法王は、「平和」というものが決して当たり前のものでないことを知っていました。
長崎・広島の惨状の歴史を前にして、何を感じたのでしょうか。彼が残した言葉は、人々が平和や核問題に関心を寄せるきっかけとなりました。一方で、スピーチの中で訴えた「核兵器廃絶」と「永遠の平和」は、38年経った今なお達成されていません。
24日、38年ぶりにローマ法王が日本を訪れることになります。現在の法王、フランシスコ法王は何を思い、何を語るのか。彼のメッセージに期待しつつ、平和への道が開かれることを祈るばかりです。
参考記事
17日付 朝日新聞朝刊(東京14版)27面(社会)「38年前 被爆地動かした法王」