今日、11月11日はポッキーの日だ。通っている大学の生協では、ポッキー購入者にポッキー風船が配布され、構内にはそれを携帯した学生が跳梁跋扈していた。ハロウィンまでとは言わねども、高揚した雰囲気がポッキー風船により醸し出されており、構内は「プチ祭り」の様相を呈していた。
多くの学生がポッキー風船で遊んでいた一方、キャンパスでは「プチ政治騒動」が起こっていた。同年代とみられる女性数名が「過去の歴史への反省なく、戦争可能な国家への転換を試みる安倍内閣に強く抗議します」や「日韓の青年たち、フェミニストたちは対決と対立ではなく交流と平和を望みます」と書かれたプラカードを掲げ、構内でビラ配りなどをしていた。それに対して、数名の学生がTwitterに写真を掲載して、痛烈に批判。さらに、彼らの批判に対する批判が起こるなど、「プチ炎上」騒動が起こった。
構内で政治活動をする女性達、それに対して憤慨してTwitterで罵る一部の生徒。ポッキー風船で遊ぶ大学生とのコントラストがなんとも言えず興味深かった。
さて、最近、香港のみならず世界各国で若者のデモが頻発している。それに対して、一部の大人は「日本の学生はなぜデモをしない!」と憤慨している。確かに、ハロウィンやポッキーなどにうつつをぬかさず、構内にいた女性の様にプラカードを掲げて政治活動をすべきなのかもしれない。
しかし、政治活動が社会に浸透していない日本において、そんな行為をすれば、友人から色眼鏡で見られることはまず避けられないであろう。また、SNSが異常に発達した今、今回の出来事のようにTwitterなどに晒され、拡散される危険だってある。
そのことを理解せず、「デモをしない日本の若者はダメだ」と主張する一部の大人はあまりにも若者理解に乏しく、身勝手ではないか。彼らには筆者ら若者の持つ、政治活動をすれば、その写真が拡散され、友人から「ああいう人」認定され、挙句の果てに疎外されるといった「恐怖」をもう少しばかり理解してもらいたい。
全共闘世代が学生だった時代は、学生がデモに加わることは当たり前であり、ハードルは低かったかもしれない。しかし、筆者らの世代にとって、政治活動はあまりにも敷居の高い行為となっているのだ。
このことを、一方的に若者をなじる大人に少しばかり理解してもらいたい。ポッキーを生協で買いながら思った次第である。
参考記事:
10日朝日読売朝刊(大阪13S)1面「香港 民主派議員3人逮捕」