文在寅が「シンゾウ」と呼ぶ日は来るか?

ロシア語は「あなた」の使い方が難しいらしい。一般的に「ВЫ(ヴィ)」を使い、親しくなると「ТЫ(トゥイ)」を使うという。今日の読売新聞朝刊で知った。前者は目上の人や距離のある人に使う改まった表現で、後者は家族や友人など親しい間柄で使うものだとか。会社の上司に対しても親しくなればトゥイを使う。なるほど、そう呼び合える仲になれば良い関係を築いた証になるわけだ。

一方、筆者が2年半学んできた韓国語にも「あなた」の意を持つ言葉がいくつもある。너(ノ)당신(タンシン)그대(クデ)자네(チャネ)임마(インマ)…。当初は呼称の多さに戸惑った。が、友人に聞いたところ、これらは全て「発言するタイミングに気をつけなくてはならない二人称だ」という。対等または目下の者に使う「ノ」以外は「おかしな表現だし、滅多に使わない」とのこと。

タンシンは日本語に訳せば「お前」となってしまうので、大抵の場合失礼な物言いになってしまう。クデは詩的表現で、歌の歌詞などで使う。会話で使うと「クサい喋り方をする奴」と思われてしまうらしい。チャネは「君」とほぼ同意だが、主に年配の男性が部下など目下の人間に使う言葉であり、登場する場面は滅多にない。インマは「てめぇ」「お前」と訳せるが、下品な言葉遣いに当たるので使ってはいけない。たしかに、年配男性が「임마」と仲の良い友達に使っていたのを一度だけ目撃したが、それ以外では聞いたことがない。韓国でも滅多に使わない表現なのだろう。

韓日辞典を引くと「자네(チャネ)」は主に男性が使う言葉と記されている。デイリーコンサイス韓日・日韓辞典(三省堂書店)より、マークは筆者がつけたもの。

「では他人にどう声をかければ良いのか」と尋ねると、韓国の友人は教えてくれた。「友達なら名前で呼べば良いし、知らない人には저(チョ…「あの」の意)とか저기요(チョギヨ…「あの、すみません」と呼びかける時に使う)と言えば良い」。ロシア語のヴィのように、目上の人に使う「あなた」は、どうやら韓国には無いようだ。

「我々は、日本が友なのか敵なのかわからなくなる時がある」。韓国の外交官が漏らした一言だという。こちらも今日の読売新聞朝刊に載っていた。今の日韓の間には深い溝ができている。では、一番近い隣国は果たして敵なのか友なのか。筆者が現地で目撃した不買運動と安倍政権を糾弾する集会だけ見れば、葛藤が絶えていないと言わざるを得ない。

ソウル市の中心部に張られた横断幕。「開き直った経済報復 安倍を糾弾します」と書かれている。8月20日、ソウル市中区で筆者撮影。

韓国の文在寅政権は強い口調で日本政府の対応を非難し、先月22日には日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄した。対日関係を冷静に分析できているのか、不安になってしまう。一方の日本政府も、就任したばかりの茂木敏充外相が韓国政府側の日韓請求権協定違反を指摘し「早期に是正するよう強く働きかけていく」と強気の態度を崩さない。身の回りでも、書店に嫌韓本が並ぶような異様な雰囲気が漂う。ワイドショーは隣国の内政事情を面白おかしく批判している。韓国政府の迷走と、日本側の過剰な韓国叩きに、筆者は辟易している。

「(日韓は)そこそこの関係で良いんじゃないですか」。あらたにすメンバーの一人の持論である。誰しも韓国に興味を持っているわけではないし、隣人だからといって無理に仲良くなる必要はない。いがみ合うくらいなら、一定の距離を保って接すれば良いのではないか。このメンバーの主張がしっくりとくる。

文在寅大統領の世代は一番日本との距離が離れている世代とも言われている。日本による植民地支配の解放後に生まれ、軍事政権下の韓国で青春時代を生きた世代である。1998年の日本文化の輸入解禁の時には既に社会人として働いており、アニメやゲームなど日本の娯楽に触れる機会が乏しかった。翻って日本政府の新閣僚たちだが、経歴を見ても韓国と密接に関わっていた印象は薄い。互いの国をよく知らない世代に対して「もっとお互い仲良くしようよ」と働きかけても効果は望めないのではないか、と思ってしまう。だから今は近づき過ぎず、かといって離れ過ぎず、互いの利益を損なわない程度に「そこそこの関係」で良いように思う。

冒頭のロシア語の話に戻ると、安倍晋三首相は今月5日ウラジオストクで開かれた日露首脳会談の冒頭でプーチン大統領を3度「君」と呼んだという。会談後の国際会議でも親しげに語りかけた。「君と僕は同じ夢を見ている」。果たして日本側の思惑通り、安倍首相の言葉はロシア語の通訳によって「トゥイ」と訳された。プーチン大統領も「トゥイ」と呼びかけていたらしい。通算27回も会談を開いただけあり、両者の信頼関係が見て取れる。

さて、もし日韓首脳会談が開かれたら、両国の首脳は一体どう呼び合うのだろう。「ノ」はまだなれなれしい気がする。よもや、関係が悪化しているからといって「タンシン」や「チャネ」などとは言うまい。韓国は名前で呼び合うのがオーソドックスだから、「シンゾウ」「ジェイン」が現実的だろうか。

今はまだ、日韓首脳会談が開かれるかどうかさえ見通せないけれども。

参考記事:
15日付読売新聞朝刊(東京13版)4面「政なび 友情と失礼の境」
同6面「ワールドビュー 日本を見失う韓国」
同日付朝日新聞朝刊(13版S)「社説余滴 妙子さんの『日韓おまつり』」
13日付日本経済新聞(電子版)「茂木外相『韓国側に強く働きかける』」

参考資料:
まなナビ「2種類の『あなた』。ロシア語は親しさの度合判断が難しい」
デイリーコンサイス韓日・日韓辞典(編者:尹亭仁 三省堂 2010年)