こんな時こそ「人」と「人」との関係を!

 「戦後最悪」とまで評されている今日の日韓関係。両国ともに矛を収めるタイミングを逃したようで、一向に関係改善への糸口は見いだせていない。

そのような状況の中で、韓国では不買運動の激化や日本人の入店を拒む飲食店が現れるなど、「反日」感情はますます高まっていると報じられている。一方の日本も表立った嫌韓運動こそ起こっていないものの、Twitter上では、感情的な文章がしばしば見受けられる。

やはり、私たち日本人と韓国人は、永遠に分かり合えないのだろうか。

そうは思わない。確かに、日本と韓国は歴史的な経緯からして対立を避けることは容易ではない。しかし、今日の女子高生が韓国なしでは生きていけないと言われているように、民間レベルでの友好関係を築くことは日本の状況だけ見ると決して不可能ではないと確信している。現に、私は韓国人留学生と普通に遊んでいるし、友人も韓流アイドルのライブに行ったりしているのだから。

今学期、私はドキュメンタリー映画を制作する講義を受けた。実際に京都に在住するムスリム(イスラム教徒)を取材し、作品に仕上げるというものであった。その中で、私達の班は、京都府と滋賀県を中心にインド料理屋を経営するインド人男性に密着取材することになった。

取材に出向いたのは、ムスリムにとって極めて重要なラマダーン(断食)の時期だった。そのため、ラマダーン期間の日没後に開かれる食事会(イフタール)にも招かれた。このイフタールへの参加は、イスラム教に対する固定観念を壊すほどのカルチャーショックとなった。

それまで、イスラム教といえば、他宗教に対して排他的な傾向があると思い込んでいた。それに「イスラム国」のイメージも相まって、怖く、冷酷なイメージさえムスリムに対して少なからずあった。しかし、イフタールではインド人経営者と従業員のムスリムだけでなく、日本人の知人や近隣住民も多数加わっていた。私のイスラム教への先入観が、いかに極端なものであるかに気付かされた。

イスラム教には、ムスリムと結婚する非ムスリムはイスラム教に改宗しなければならないという決まりがある。インド人経営者の日本人妻は、彼と結婚する際、改宗したそうである。無宗教を不思議に思わない多くの日本人にとって、イスラム教は多くのしきたりに縛られ、馴染みにくい印象である。それを知ってか、インド人経営者は奥さんに、イスラム教の慣習を強要することはなく、「できる限りでいい」という姿勢を貫いていた。教義に厳格なイメージが一概にそうではないということに気付かされた。

取材を通して学んだことは二つある。まず、宗教や国といった大きな枠組みで、一個人を捉えてはならないということだ。確かに、同一的と言われることの多い日本人でさえ、十人十色なのに、世界中にいるムスリムが全て厳格、怖いということはあり得ない。これは、韓国人に対しても言えるであろう。確かに「反日」的な人もいるであろう。しかし、日本のメディアではあまり取り上げられないが、物言わぬ「親日家」や今日の反日運動に嫌気をさしている人々も多数いるはずである。

二つ目は、個人の間では宗教や国の違いを乗り越え、友好関係を築けるということである。イフタールに見たように、インド人経営者には日本人の友人が数多くいる。友人は皆「彼(インド人経営者)のおかげで、ムスリムのイメージが変わった」と語っていた。「イスラム教=怖い」という偏見は破られ、今ではムスリムに好印象を抱いているそうだ。私たち日本人にある「韓国人=反日」という固定観念も、民間交流により破壊できないであろうか。

今日の日韓関係は「修復不可能」とまで言われている。そのような状況だからこそ、国家の関係は棚に上げて、民間レベルでの対話を行う必要がある。そうすることで、日韓両国の国民が、国家と個人を同一視せず、付き合っていくことが可能になるのではないだろうか。国といった大きな枠組みでとらえず、友好関係を築いていかなければならない時代がやってきたのだろう。

参考記事

8月4日付朝日新聞(デジタル版)「韓国デモ激化、ドラえもん上映延期 日本人入店拒む店も」