「受験はテクニック。過去問を分析すれば合格できる」
筆者は中学受験、高校受験、そして大学受験の全てを経験しました。受験勉強の際、このお決まりのセリフが受験生や先生の間で囁かれていたのを思い出します。事実、センター試験の数カ月前からはセンター試験と同じ形式の問題を何度も繰り返し解き、各学校の入試が近づくにつれてその学校の過去問をひたすら解く、という勉強法をしていた人も多いと思います。
文部科学省は31日、小学6年生と中学3年生を対象にした「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」の結果を公表しました。全国の学生202万人余りが受験したこの調査では、中学生の英語では「書く」と「話す」の力が不足しているという課題が明らかになったのです。「聞く」「読む」などではまずまずの結果となった一方、「話す」の正答率は30.6%、英作文を正しく書けたのはわずか1.9%という結果となり、技能別の得点差が如実に現れました。
この手の議論でよく言われるのは「知識一辺倒ではダメだ」というものです。日本の学生は、知識は豊富だけど考えたり話したりして表現する力に欠けているとよく言われます。そのために、せっかく習った英単語を用いて作文する練習や、議論(ディベート)する力を身につけさせようと色々努力されています。
ここで陥りがちなのは、「知識一辺倒ではダメ」というのを「知識を習ってもしょうがない」と曲解してしまいがちなことです。「従来の教育=古い考え」という分かりやすい構図を勝手に思い込んでいないでしょうか。「表現力重視」というのは、「暗記物をしなくていい」という免罪符にはなりません。
重要なのは、「知識が豊富にあって、かつそれを上手に使いこなせる」人を育てることではないでしょうか。今まで通り、英単語をしっかり学び、古文単語を覚え、計算問題をたくさんこなすことは今も昔も、そしてこれからも変わらないはずです。それに加えて、それを活用するための力づくりが、教育に求められているはずです。
大学受験では、難関の国公立大学になるにつれて記述の問題が2次試験で課されます。マークシート上で正答を選ぶのではなく、受験生がこれまでに得た知識を基に文章で表現する力を計る。難関大学がそれを課しているのには納得できます。
小学6年生はともかく、中学3年生の多くはこの時期目指す高校に入るために必死に勉強しているはずです。そんな彼らがこれから大のゼミで発表したり、就職活動で質問の意図がさっぱり分からなく考えたこともないけど答えなければならないような場面にたくさん遭遇します。そういうときのためにも、そしてその先のためにも、知識と思考力・表現力のどちらも欠かせない「二兎を追う」ことが必要な気がします。
参考記事:
1日付 読売新聞朝刊14版1面 「学テ英語「話す・書く」苦手」