西日本豪雨から1年。14府県で275名が亡くなり、8名が今も行方不明のままだ。読売新聞の調査によると、被災した47市町のうち、約8割に当たる38市町が「復興の途上」と答えた。実際、特に被害が大きかった広島、岡山、愛媛の被災3県が手がける災害復旧事業5086件のうち、完了した事業はわずか587件。率にして11.5%である。
また、本日付の日本経済新聞によると、今なお被災3県で約4000世帯9000人以上が行政の提供する仮設住宅や賃貸住宅を借り上げたみなし仮設住宅で暮らしている。西日本豪雨は1年前のできごとではなく、現在進行形の災害である。
筆者は昨年8月、広島県内の被災地に足を運んだ。広島市安芸区の土砂崩れ現場に向かうと、言葉が出なくなった。土と、木と、下水が混じった異臭が立ち込めている。土砂に押し潰された車、倒壊した家屋、路上に散らばった家財道具。全てが土色に染まっていた。
東日本大震災の時、仙台市の沿岸部で見た光景が重なった。ヘドロと何かが腐った臭い。辺りに転がる漁船、車、2階部分だけが残った家。津波も土砂も、そこに住む人たちの生活を根こそぎ奪っていった。震災を経験した者から見た西日本豪雨は、他人事には思えなかった。
西日本豪雨の際、広島県警担当だった地元紙の記者の話を聞いた。「一晩中110番通報が鳴り止まず、無線も繋ぎっぱなしだった」と振り返る。同時多発的に起きた土砂災害のため、救助に当たる警察側の手に負えないほどの通報があったという。
豪雨の中、広島市内を営業中だったタクシー運転手は「今まで経験したことのない雨だった。道が渋滞して、動けないほどだった」と振り返る。99年、2014年にも土砂災害に見舞われた地域だが、それでも未曽有と感じるほどの豪雨だったのだ。今後、経験を教訓に変え、次の世代に伝えていく必要がある。
希望はある。筆者は今月3日にも広島を訪れた。広島駅には「がんばろう広島」と書かれた垂れ幕があった。被災地の人たちは諦めていない。私たちも復興の歩みを後押しできるよう、目を向けていきたい。
参考記事:
6日付読売新聞朝刊(東京13版S)1面「西日本豪雨1年」
同33面「仮設解消、家屋解体に遅れ」
同37面「8割首長『復興途上』」
同日付朝日新聞朝刊(東京14版)1面「仮設暮らし なお3900世帯」
同36面「減災への歩み 着実に」
同37面「たった1人で開いた 豪雨被災窓口」
同日付日本経済新聞朝刊(東京13版)30面「西日本豪雨1年」
同35面「生活再建 道半ば」