「○○テレビの池田なのですが、出口調査にご協力いただけないでしょうか?」
6月9日、堺市長選の投票日、私は投票所となった小学校の前で出口調査のアルバイトをしていた。12時間に及ぶ調査では、「協力したらなんかくれるん?」というおばちゃんや前市長を痛烈に批判するおっさん、維新の会大っ嫌いおばちゃんなど個性豊かな大阪人から市政に関する意見を聞くことができた。
堺といえば、16世紀に日本を訪れた宣教師ガスパル=ヴィレラが「此の町はベニス市の如く執政官に依りて治められる」と評したように、戦国大名の支配を受けず、会合衆(えごうしゅう)という豪商らによる自治が行われていた地域だ。現在も中央になびかない自治自立精神が根ざしている。
そのためか、大阪維新の会は過去二回の市長選で敗れており、堺市民は維新の会一色であった中央つまり大阪府や大阪市とは一線を引いた独自路線を選んできた。その市長選で大阪維新の会の公認候補が市長の座を射止めた。
「維新なんかに入れるかアホ!」という反維新勢力と「維新しかないやろ!」という親維新勢力との力の差は、各候補の得票率や出口調査による大阪都構想の賛否から見ても、それほどないように思われた。では、なぜ、反維新候補は僅差ながらも維新に敗れてしまったのか。
私は、出口調査の体験も踏まえて、三つの理由があると感じた。
一つは、政治腐敗への怒りである。今回の市長選は、前市長の政治資金問題での辞職に伴うものであった。前市長は反維新のイデオローグ的な存在であり、「反維新の最後の砦」とされていた。政治資金問題の発覚が、反維新勢力に対する市民の反発を招いたのは確かだ。調査の際にも「(前市長は)今ごろどっかで遊んどるんやろ」や「私、この人嫌い」という辛辣な批判をしばし耳にしたほどだ。
次に、公明党が自主投票を選択したことである。衆参ダブル選も予想されたなか、勢いのある維新との全面対決を避ける判断があったとされる。公明党といえば、選挙における動員力は他党を圧倒するものがある。そこが自主投票を選択したのは、反維新勢力には痛手だったのではないか。
三つ目は、大阪維新の会が堺市でも着実に定着しつつあるということである。「大阪維新の会愛」に溢れた人をしばしば目にした。確かに、大阪維新の会が嫌いな人が少なくないことは事実である。しかし、それと同じくらい、維新支持者が「反維新の牙城」である堺市に存在していたということは大阪維新の会が堺市に根づきつつあることを示しているのではないか。
「反維新勢力」は僅差ではあるものの敗北した。かつて、織田信長の武力を前に自治権を手放した会合衆と同じ屈辱感を今ごろ反維新勢力は味わっているのだろうか。
1568年、会合衆から自治権を奪い、支配下に置いた信長は、姉川の戦いで浅井氏を破り、翌年には比叡山延暦寺を焼き討ちするなど「天下布武」に向けて疾走した。
今回の堺市長選を制した大阪維新の会も、信長にならって勢力拡大につなげることができるのか。次の戦場は、7月の参院選となる。
参考記事
11日付朝日新聞朝刊(14版)1面「大阪3トップが維新に」
11日付朝日新聞朝刊(14版)3面「都構想実現 道のり遠く」
11日付読売新聞朝刊(13版)38面「堺市長 都構想「時期尚早」」
11日付日本経済新聞朝刊(12版)1面「「反維新の牙城」崩す」