悲劇の連続を防げるか

「あの優しい人が過激派と関係があったなんて信じられない」(朝日新聞)

治安部隊に射殺された容疑者のいとこは、このように語っています。他の親族らも「普通の若者」と口を揃えます。ではなぜ、「普通の若者」は銃を手にし、残酷な犯行に手を染めてしまったのでしょうか。徐々に詳細が明らかになり始めた今回の事件を振り返りながら、悲劇はなぜ繰り返されるのかを考えてみたいと思います。

18日、チュニジアの首都チュニスの博物館で観光客が銃撃され、日本人3人を含む21人が死亡しました。実行犯とみられる容疑者2人は治安部隊に射殺され、他にも実行犯や関係者がいるとみられます。チュニジア内務省の報道官は「過激派に対する大規模な作戦を行っている」と述べ、これまでに20人以上を拘束したと発表しました。このうち10人が事件に直接的に関与しているとみられます。

容疑者は貧しい地区の出身で、大学中退後は旅行会社に勤めていました。イスラム教で禁じられている酒も飲み、教えを守ることにはあまり厳格でなかったようです。世俗主義のチュニジアでは、まさに「普通」の若者だったのでしょう。そんな若者は、なぜ過激派に引き込まれたのでしょうか。政府への不満なのか、生活苦からの犯行なのか、容疑者が死亡した以上、真相を伺い知ることはできません。しかし、理由の如何は問わず、危険な思想に感化されてしまう人々が世界中にいることは事実でしょう。チュニスは欧米人には特に人気のある観光地です。一見豊かに見えても、今回のような事件を引き起こす若者が存在しているということを今回の事件を通して思い知りました。ナイジェリアのボコ・ハラムやフランスのシャルリー・エブド襲撃事件など地域や大陸を問わず、テロの危険性が世界中に存在していることを認識しなくてはなりません。

今月20日、地下鉄サリン事件から20年が経過しました。チュニジアのテロ事件と一概に比較することは難しいですが、20年を隔てても、宗教に関わるテロが絶えないのには何か共通点がある印象を受けます。国家や国際的な連携でテロの萌芽を摘み取ることはもちろん必要です。ですが、犯人は曲がりなりにも信徒です。過激派には難しいかもしれませんが、宗教心による自制を期待することは出来ないのでしょうか。

参考記事:22日付朝日新聞朝刊(東京14版)6面(国際面)・8面(オピニオン面)

同日付読売新聞朝刊(同版)2面(総合面)・38面(社会面)