Time is Money.Money is Time.

明日、4月1日は新元号の発表日です。「平成最後」というフレーズが流行し、「平成」の文字をあしらった靴下やキーホルダーなどの商品がヒットしてます。また、改元前に挙式を申し込む、いわゆる「駆け込み婚」をするカップルも多いようです。

改元をすることによって変わることはあるのでしょうか。身の回りにあるものを探ってみると、それは財布の中に埋もれていました。そうです。「硬貨」です。しかし、新元号が発表されてから、どのような流れで硬貨に刻まれるのでしょうか。大阪市に位置する、独立行政法人「造幣局」によると、発表されてからすぐに、手作業で新硬貨の金型作りに取り組むそうです。そして、6~7月に需要が多い500円と100円、夏からは残りの4種(1~50円)を製造します。全6種が揃うのは10月頃になる見通しです。

この硬貨を深く知りたいと思い、実際に造幣局本局の隣にある造幣博物館へ行きました。

(筆者撮影 造幣博物館前)

 すると、館内には大勢のお客さんが。中には、中国語を話している方もいたので、観光スポットとしても認知されているようです。

入って早々面白いものを見つけました。

(筆者撮影 貝貨)

 これは、今から約3500年前に中国で使われた「貝貨」です。原始時代に行われていた物々交換から、やがて穀物や織物などが交換の仲立ちをして、貨幣へと発展しました。また、お金や経済に関する漢字には「貝」がついています。例えば、財、貯、費、貢などが挙げられます。他にも沢山ありますが、ルーツは「貝」であることが分かります。

次に、古代中国に流通していた貨幣の紹介です。

(筆者撮影 上:魚幣 下:刀幣)

 まるでルアーのような魚幣や、切れ味の良さそうな刀幣などユニークな形をしています。魚幣は主に陵墓の副葬品として使用され、刀幣は春秋時代から戦国時代(西暦前770年~221年)にかけて流通しました。そして、中国を統一した秦の始皇帝(西暦前221年)は、後の富本銭や和同開珎のモデルとなる、円形方孔(丸い形に四角い穴)を造りました。この形は、中国でなんと2000年も守られたそうです。

鎌倉~室町時代で流通したのは中国の貨幣です。これを渡来銭と呼び、特に室町時代に流通した「永楽通宝」は量が多く、形や品質が安定していたので、国内の基準貨幣となりました。以後、この渡来銭を真似した模造品の製造が盛んになり、中国の良貨と日本の悪貨が混ざり、撰銭(価値の低い銭の受け取り拒否)が起きました。

(筆者撮影 渡来銭)

 そして時代は戦国時代に突入。天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、商工業を発展させるため、国内での大判・金および銀銭などの製造を推し進めました。さらに、徳川家康は幕府を開き、貨幣制度を整備・確立し、金・銀・銅貨の三貨制度を開きます。その後、江戸末期では藩内のみで通用する貨幣など、多種多様に変化した為、明治時代には画一な貨幣の製造と、貨幣制度の確立に向けて動きました。

1871年(明治4年)に国内初の貨幣法規「新貨条例」が制定。新貨幣の単位は「円、銭、厘」としました。そして97年(明治30年)では、金本位制の貨幣制度を確立するため「貨幣法」を公布。90年後、第二次世界大戦による経済の高度成長や、自動販売機などの普及により、需要が大きく変動しました。よって1987年(昭和62年)に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が制定され、今日の硬貨全6種となりました。

大まかな流れを書き連ねてみました。このコラムでは伝えきれないほどの歴史が、貨幣に深く刻まれています。そして今回、訪れてみて気付いたことは「貨幣とは時代を映す化石である」ということです。今では信じられないような形をしたものも、当時は当たり前に使われていました。これからは、電子マネーやクレジットカードなど、「目に見えない貨幣」が主流になるでしょう。どうしても新元号に注目が集まってしまいますが、時代の化石である貨幣にも目を向けてみると、新しい発見があるかもしれません。

 

参考記事:

31日付 日本経済新聞朝刊 14版1面「政治・外交・・・転機の予感」

同日付 読売新聞朝刊 13版33面「平成 惜しむ楽しむ」「新元号硬貨 10月に全6種」

取材先 造幣博物館( https://www.mint.go.jp/enjoy/plant-osaka/plant_museum.html)

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