子どもの世界は、たった16色でしょうか

普段、何気なく見ている風景は、数え切れないほどの色によって構成されています。また、男女を分かりやすく区別するために、利用されることもしばしば。例えば、お手洗いの標識は「男が青、女が赤」と、国内では一般常識化しているように感じます。この考えを一歩下がって考察すると、実に不思議ではないでしょうか。

今朝の朝日新聞には、ランドセルの色についての記事が小さく載っています。半世紀前に比べるとランドセルがカラフルになり、ジェンダーに関する価値観も多様であるべきだと一般男性が主張しています。私は彼の意見に大賛成です。

過去を振り返ると、色に関する思い出がいくつかあります。小学校低学年の頃の話です。体育の授業か休憩時間だったかは覚えていませんが、指を擦りむいてしまい保健室で処置してもらいました。よく見てみるとピンクをベースにした、可愛らしいキャラクターがデザインされた絆創膏が、指に巻き付いていました。

「これは女の子が使うものだぞ!」

男なのに女のものを与えられたという違和感と、相手に対する不信感などが急激に襲いかかり、怒りを抑えきれませんでした。そして教室に戻れば、同級生の視線が気になります。「絆創膏について馬鹿にされるんじゃないだろうか」と怯えていた記憶があります。

なぜそこまで執着してしまうのか。この原因は「色の教育」だと考えます。小さい子の絵は、人の顔が青や緑だったりします。しかし、「肌はベージュで、髪は黒」と、成長していくに従って、次第に変化していきます。それは、親や教師が「何で人の顔が青なんだい?違うでしょ」と指摘することが発端だと思います。また、クレヨンやクーピーの主流は12~16色入りのもの。小さい子にとっては「クレヨンの色の数が世界の色」と言ってもいいほど、重要な役割を担っているでしょう。なので、自由度の高い絵の具や、何倍も種類が豊富なクレヨンに触れる機会を増やしたら面白いと考えます。

男の子がピンクの水筒を持っていると、また指摘される。このようにして色の価値観は固定化されていきます。一体いつまで続くのでしょうか。色に関する複雑な事情は子どもだけの問題で、大人は気付いていません。いつか登校する児童の背中が、無数の色で輝いていることを夢見ています。

参考記事:

7日付 朝日新聞朝刊 13版7面「価値観 カラフルに」