「今日から苗字は○○です。」

「今日から苗字は○○です。」

 皆さんは、将来このような台詞を話す機会が来るかもしれないということを想像できますか。皆さんと同様、男子学生である筆者にも想像の出来ない話です。長い間使い続けてきた名前を「捨てる」ということは一体、何を意味しているのでしょうか。今日は「名前」ついて考えてみたいと思います。

 18日、最高裁は、民法750条が定める夫婦の別姓を認めない規定と733条が定める女性の離婚後6カ月間の再婚禁止規定について大法廷で審理を行うことを決定しました。今回は前者について考えます。

 一審では夫婦別姓は憲法で保障されていないとされ、二審では夫婦同姓が社会的に受け入れられているため、憲法には反しないとされ、いずれも原告側の国への慰謝料請求を退けています。国に対して何かを請求するということはともかく、皆さんは自分の名前が「変わる」ということについて、どのように感じますか。正直なところ、この記事を読むまで、筆者は男性ということもあり、苗字が変わるということはあまりピンと来ていませんでしたし、旧姓のままで働ける職場も多く、名前はその人を識別するためのものでしかないと思っていました。

 ですが、今朝の記事でこの規定に不快な思いを感じている方々の存在を知りました。原告の女性たちからしてみれば、名前の変更は単に仕事上の不利益を伴うものだけでなく、自分が何年も使い続けてきた名前を半分とはいえ、半ば強制的に「変更される」わけですから、苦痛を感じるという方も少なくなく、訴えを起こすことはしなくとも、旧姓を使い続けたいという方もいるかもしれません。個人的な例になりますが、初対面の方にはまず自己紹介をするように、周囲にまず名前を認識してもらうところから関係が始まるのではないかと考えています。また、筆者の苗字は土屋なので、小学生の頃より「ツッチー」と呼ばれています。ニックネームの有無もその人との心理的な近さを意味しているに感じますし、このニックネームにより、人間の一個体に対し、周囲が「ツッチー=土屋」という認識をしているのでしょう。しかし、今日から苗字が田中になってしまったらどうでしょうか。もちろん、初めましてということにはならないでしょうが、旧姓を用いることで生み出されてきたその人との近さが崩れてしまうような印象を持つ方も決して少なくないのではないかと考えられます。

  実際、このように考えると、土屋から苗字が変わるということに「不安」を覚えました。名前は個体の識別以上に、周囲との関係を作る上で、非常に重要な意味を持っているのではないでしょうか。小学生の頃、家庭の事情で名前が何度か変わった友人がいました。我々は全く気にしませんでしたが、当時の彼も筆者の「不安」に近い、それ以上の「恐怖」のようなものを感じていたのかもしれません。筆者のように、イメージが湧かないという方もいるかもしれません。お友達と違った名前で呼び合えば、この問題について、イメージが湧きやすいかもしれませんね。

参考記事:本日付朝日新聞(東京14版)1,2,4面・同日付日本経済新聞(同版)38面・同日付讀賣新聞(同版)1,34面