「略一日中」←これ、読めますか?

本日の読売新聞朝刊「編集手帳」。「略一日中」という単語が読めずにしばらく意味をくみ取れなかったという筆者の小話に、ちょっと笑ってしまいました。

正解は「略(ほぼ)一日中(いちにちじゅう)」。「略」の字は「ほぼ」とも読むそうです。元を辿れば漢字しかなかった日本語の歴史を考えれば、ひらがなでしか表せないと思われる単語にも漢字があてられるというのは、さもありなんという感想がわきました。

さて、日本語の伝統、若者の言葉遣い云々という話はどの世代を通しても心当たりのある出来事ではないでしょうか。私たち世代では「ら抜き言葉」や「略し言葉」なんかでしょうか。小学校か中学校か、国語の時間でそういった言葉について「日本語の伝統が失われている」というような論旨の評論文が教科書に載っていたのを覚えています。

編集手帳に取り上げられていたのは、冒頭にも話題に挙げた「ほぼ」。文化庁の「国語に関する世論調査」では、「ほぼほぼ」という「ほぼ」の強調系が若者を中心に多用されているという見解が示されているそうです。知り合いの若い人に「ほぼはもう使わないのか」と聞いてみると、「ほぼほぼ使わないっすッ」とのこと。「ほぼ」には「略」のほかに「粗」とも充てられるそうで、ものをはっきり言わないことが多すぎて、コミュニケーションが「粗々」にならないように、と締めくくられています。

「略」なんて、いきなり出されても読めないです。

日本語の伝統、という言葉を用いて若者言葉を批判する意見を見かけるたびに思うのですけれど、じゃあそういうおじさま方おばさま方は、例えば天皇陛下に謁見するときなどは千年前の宮廷言葉でも遣うのかしら、と。

言葉の粗雑さや礼儀の無さとはまた別の話です。例えば会社の先輩に「今日、部長は来れないそうです」と言うことと、「今日、部長は来られないそうです」と言うこと。何か違いがありますか? 編集画面では、前者の言い回しにワードチェックの青い波線が入ってしまいました。後者のほうがなんとなく丁寧な気がしますけれど、だからと言って前者が悪いと言うわけでもない気がしませんか? 少なくとも、先輩に対して例を欠いた言い方というほどではないでしょう。

日本の伝統だとか、正しい言葉遣いだとか、文法的にあっているとか間違っているとか。言葉というものはそもそも変遷するものですから、言ってしまえば「ら抜き言葉」や「略し言葉」なんてものが発生するのも広義に見れば伝統の内、新しい伝統なのではないかと思っています。「正しい日本語」って何でしょう。明治政府ができたころ、「じゃあこれを標準語として使います」と言って公布された東京語ベースの言葉遣いが正しいのでしょうか。歴史はせいぜい百五十年くらいです。

「今日の仕事は終わった?」
「ほぼほぼ終わりましたね」
「ほぼほぼってなんだ。しっかりとした言葉遣いをしなさい」
「ほぼ終はりはべりきね」

伝統を重視して、こんな感じでキメますか。

参考:
27日付 読売新聞朝刊(大阪13版) 「編集手帳」