「美しい方は美しく、そうでない方はそれなりに写ります」
富士フイルムのCMキャッチコピー、もう40年近く前のものですけども、20代30代でもご存じの方、多いのではないでしょうか。もとはこのフレーズ、「美しくない方も美しく写ります。」と続いたそうですが、CMに出演した樹木希林さんが「それはない」と一周して新たに提案したのが始まりなのだそうです。
国民的「お母さん」、樹木希林さんが9月15日、75歳という若さでこの世を去りました。ここのところ国民的◯◯と冠のつく名優、名監督の訃報を聞くことが増えた印象で、次は樹木さんか…とテレビの前で肩を落としました。親の訃報とまでは言えませんけれど、親戚のおばあちゃんが亡くなったような、どこか身近な寂寥感が湧いてきます。
同じようなことを感じたのは皆さんも一緒なのではないでしょうか。本日の朝日新聞朝刊では、樹木希林さんと作品を共にした名監督、「わが母の記」原田眞人監督、「あん」河瀬直見監督が希林さんとの思い出を語っています。
「三枚目の希林さんは、自分が前に出られる場所を自らのてで作り出してきはった。」と河瀬監督は言います。自分のプロデュースを自分で。監督にも物言う役者として知られていた希林さんには、役者である前に「私は樹木希林である」という確固たる意志があった。また原田監督はそれを指して「偏屈ファニー」、「洗練スピーディー」と称します。
役者としてはもちろん、人として、一人の女として、前に立つ。希林さんのそんな姿勢に憧れます。「こんなとき、希林さんだったらどうするか」。そんな風に思って困難を乗りきる役者、監督がどれ程いることか。
軽々しく言えることではありませんが、希林さんのような「いなくなると本当に困る人」に、なりたいと思います。
参考記事:
19日付 朝日新聞朝刊(大阪10版) 27面(文化・文芸) 「毒舌ファニー 達人の間合い」