生死を選ぶ決断、できますか

今月6日、オウム真理教の教祖・松本智津夫死刑囚ら7名の死刑が執行されました。今朝の朝刊でも、松本氏の遺体を誰が引き取るかなど、オウムの現存団体であるアレフ、ひかりの輪、山田らの集団の今後の動きに注目が集まっています。

ですが、本日考えたいのは、「死刑制度」そのものについてです。日弁連の菊地裕太郎会長は6日、松本智津夫死刑囚らの刑執行に「7人のうち6人は再審請求中で、心神喪失の疑いのある者も含まれている。国家による重大な人権侵害に強く抗議し、死刑制度を廃止するよう求める」との声明を発表しました。

また、駐日欧州連合(EU)代表部は6日、オウム真理教元代表ら7人の死刑が同日執行されたことを受け声明を発表し、日本政府に対し、死刑廃止を視野に入れた執行停止(モラトリアム)の導入を求めました。1989年、国際連合では「死刑の廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際規約・第二選択議定書」、いわゆる死刑廃止条約が採択されており、また国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、2017年末現在、106カ国がすべての犯罪で、7カ国が一部の例外的犯罪を除いて死刑を廃止しているなど、国際的には「死刑廃止」の流れとなっています。

一方、国民世論は概ね死刑制度には賛成的です。平成26年度の世論調査によると、「死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が9.7%,「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が80.3%となっています。その理由については「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」を挙げた者の割合が53.4%,「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた者の割合が52.9%などの順となっています。(複数回答)

あくまでも日本国内の制度、政策を考えるうえで、「国際的な流れ」だけを理由に、決定すべきではありません。他方、国民世論だけを理由に、人権侵害と指摘されるような仕組みを残してはいけないと筆者は考えています。

では、どう考えるべきなのでしょうか。そもそも、死刑制度がほかの刑と比較したときに犯罪の抑止力があるのかどうかについても議論が分かれています。また、秋葉原通り魔事件のような、「拡大自殺」と言われる死刑になりたくて人を殺すというような事例も起きています。さらには、冤罪事件の可能性だって捨てきれません。ただ、被害者遺族の心情を考えると、極刑の必要性も十分理解できます。

最高裁によると、2017年3月までに、裁判員裁判で30の死刑判決が下されています。事件に関係のない民間人までもが、死刑制度があることによって人の生と死を選ばなくてはいけない状況に追い込まれることもあるのです。今回の死刑執行を、単にオウム事件の終結と捉えるのではなく、人の命を奪った犯罪者の生死をどうとらえるか、しっかりと考える機会にしたいものです。

参考記事:
8日付 各紙朝刊 オウム真理教7名死刑執行関連記事