京大タテカン撤去 寂しさ募る景色

私が京都大学を初めて訪れたのは高校1年生のころでした。最寄りの駅からキャンパスに向かうと、最初に目に留まったのは、色とりどりの立て看板でした。大きさもデザインもバラバラな多くの立て看板に、自由な学風を標榜する「京大らしさ」を感じたものです。入学後もそれらを見るのは楽しみの一つでした。

13日、大学側は立て看板を学内の規定に基づき撤去しました。

立て看板がすべて撤去された通り。以前はここに20枚以上の看板があった。

撤去が実施された背景には、京都市から景観に関する条例に違反するとして指導を受けたことがあります。学内の団体は「表現の自由を奪う」「話し合いをすべきだ」と反発をしています。そして、撤去はしたものの、反発する学生たちによって、取り去っては立てるという「いたちごっこ」の様相を帯びています。

撤去後に新たに建てられた立て看板。

大学側は新しく立て看板の設置場所を定めていますが、そこに認められた団体しか使えません。

大学側が指定した設置場所。

撤去勧告が出される前は、様々な団体の宣伝やイベント告知がある一方、政治に関する自らの考えを過激に表現するものもありました。

大学には全国様々な場所から来た、多種多様な考えの人が集まっています。その多様さが面白みであり、強さです。そして、個々が自らの考えに基づいて自由に能力を伸ばすことが良さです。

自由には責任が伴います。名物だったとはいえ条例に従って撤去することはやむを得ないと思います。情報発信もSNSなど立て看板以外でもできます。しかし、さまざまな考え方を認めないかのように、立て看板を掲示できる団体を規制してしまったことに残念な気持ちを隠すことができません。

長年慣習として続いてきたものだからこそ、大学側と学生側の歩み寄りが必要な問題であると感じます。いたちごっこを続けるのではなく、今こそ双方が納得できる折衷案が必要なのではないでしょうか。

すっきりとした景色に寂しさが募ります。

参考記事:

14日付 読売新聞朝刊(大阪13版)30面(社会)「京大 タテカン撤去」

同日付  朝日新聞朝刊(大阪14版)27面(社会)「京大タテカン ついに撤去」

同日付  日本経済新聞(大阪14版)29面(社会)「京大、立て看板を撤去」