「殺すぞ」発言の真意とメディアの姿勢

新年早々、筆者の住む兵庫県西宮市に関する物騒なニュースが全国を駆け巡りました。今月4日の仕事始め式で、今村岳司市長が次の市長選には出馬せず退任する意向を明かしました。式後、市長に駆け寄り発言の真意を確認しようとした読売新聞記者に、彼は「殺すぞ」「寄るな」などと発言したのです。全国ニュースとしても大々的に報道され、当然ながら市には批判的な意見が多数寄せられました。

筆者自身も、この発言はあってはならないものだと考えています。しかし、この発言だけを切り取れば「悪者」としてのスポットライトは今村市長だけに向けられるでしょう。しかし、騒動の背景を見ると単純にそうもいかないようです。

昨年末の休みにこの記者が市長とその妻が住む自宅を訪れました。その際、市長の主張に寄れば、私有地に入り「進退」についての取材を試みました。「家に帰っているときには1人の夫であり、1人の男。普通に妻と暮らしているところに来るというのは非常識」(5日の会見)。そう考えた市長は、再三帰るよう言いましたが記者は私有地に留まったため、市長室を通じて読売新聞に抗議したそうです。

そして今月4日。仕事始め式の後、市長が退席しようとすると記者は進路を遮るようにレコーダーをもって取材しようとしました。昨年末の件について記者から謝罪を受けると市長は思っていたこともあり、腹を立てて暴言を吐いたというのです。

このことはあまり報道されていません。しかし、今村市長は就任直後「メディアのフィルターを通った情報ではなく直接の情報発信を信用していただければ」と述べた通り、政治的な内容だけでなく、市内の観光地やイベント情報などを自身のFacebookで積極的に情報発信しています。今回の騒動についても仕事始め式で述べた全文とともに説明しており、これを見たとみられる人たちからは、市長のみならずその記者にも批判が上がっています。

繰り返しになりますが、今回の市長の発言内容を擁護するつもりはありません。しかし、取材を第一に考え、なりふり構わないメディアにも非があるように思えるのです。そうした姿勢にカッとするのも同情できないではありません。

話はずれますが、震災の被災地で避難所を好き勝手にテレビ取材したり、事件の被害者遺族が望まないにもかかわらず実名を報道したり。昨今のSNSの普及により、「権力をチェックする」側のメディアがいつの間にか厳しくチェックされ、批判にさらされて信用を落とすようになりました。「報道の自由」を錦の旗にすることなく、謙虚な姿勢で取材に臨んでほしいものです。

参考記事:

20日付 朝日新聞阪神13版 27面「西宮市長「殺すぞ」発言の背景」