マイノリティ言語への理解を

 先日、大学でろう者の方による講演を聞きました。彼が使っていたのは、手話。側にいた手話通訳者が日本語に訳すことで私たちに話を伝えていました。この手話、私たちが日常的に使っている口話言語とは全く異なる言語であることをご存知ですか。

 例えば、日本語学習者が最も難しいと感じる「で、に、を、は」といった助詞は、手話にはありません。「聞く」という言葉を口話言語で表すと、文字にはそれぞれ対応する発音があり、「き」「く」の2文字から成り立っています。一方、これを手話で表現した場合、手を耳に当てるだけ。手の形や位置、動き、表情で連想する事象、動作を表すのが手話なのです。

 手話を第一言語としてコミュニケーションをとっている人々にとって、日本語は第二言語です。日本語で書かれた書き言葉を読むのは決して簡単なことではありません。今朝の新聞で紹介されていた10代の少女もその一人です。彼女は数学の文章題を、辞書を引きながら解いていました。

これでは、数学と日本語のどっちを勉強しているのか分からない。逆に言えば、日本語ができたら数学や他の教科の成績もあがるということだ。

自動詞や他動詞、尊敬語、謙譲語、そして丁寧語も含めた日本語の習得は、就職のチャンスにも直結してきます。就職後には、メールなどで聴者たちとやりとりをすることにもなるのです。聴覚障害者にとっての苦労は、聞こえないことだけにあるのではないということがわかります。

  社会は、基本的に多数派向けにデザインされています。私には全盲の祖母がおり、日々の節々で大変な思いをしている姿を目にしてきました。当事者でない私たちにできることは限られています。でも、ただ、理解しようとすること。そして、自分にできることを考えること。その一歩から社会は変わっていくのだと信じてやみません。

 

参考:

22日付 朝日新聞朝刊(東京14版)9面(経済)「ろう者の祈り Ⅲ 下」