英語学習は暗記?

 東京都教育委員会は都立高校入試の英語科目にスピーキングテストを導入することを決めました。民間団体の協力のもとで実施するそうです。目的は、現行の「聞く、書く、読む」の三技能を測る問題に加え、「話す」能力も試すためです。試験の形式はまだ検討中とのことですが、面接形式や受験者の声を録音して採点する形式を模索しているといいます。今後、等しい試験環境づくりや採点方法といった具体案を詰めていくことになります。

 都立高校の入試を受けてきた身として気になったのは、受験者の負担にならないかという点です。小学校から英語教育が導入されるなど学習面での改革が行われていますが、小中学校で実際に英語を話すという機会は少ないうえに話せる先生もそう多くないのが現状だと思います。「話す」という技能の習得には英会話の場を提供するなど、教育の現場レベルでの改善が必要なのではないでしょうか。

 もう一つ私が気になったのは、「英語」というのは単なる「技術」でしかないことです。日本では「英語が話せる」=「かっこいい」といったような「空気」があった時期もありました。しかし、ITの発達や人工知能の発展により翻訳機能が高度なものに変化している今、「技術としての英語」は必要なくなっていきます。だからこそ、今後求められるのは「英語を使いこなす能力」ではないでしょうか。

 言語には発達する上でベースとなる文化の部分があり、言語を使用する際にも必要となります。しかし、「技術」に焦点を置きすぎた教育では暗記することがメインになり、言葉そのものの土台には気を払わなくなります。言い換えれば、漢字ドリルを永遠にやらされているのと同じことです。辞書などを引きながら漢字ドリルをやり、文学作品などを読むことで言葉に触れ合い、作品自体の内容を思索することで初めて知性が育ちます。

 今の暗記を中心とした教育から暗記をベースに自分で思索していく環境を作る教育に変えなければ、英語を話せる人は育っても本当の意味で理解できる人間は生まれないでしょう。

16日付 読売新聞朝刊(14版)28面(地域)「「話す」英語導入 課題も」