生徒と教師 臆せず言葉の”交流”を

教師による生徒への体罰や、言葉の暴力はなぜなくならないのでしょうか。

今日の新聞によると、埼玉県北本市の市立中学校で、男性教員が男子生徒のふりをして、ツイッターで特定の女子生徒を中傷する書き込みをしたといいます。その内容は「顔で損してるよな」「あの体型、あの嫌われようでよく学校来れると思う」など、ひどいものです。「中学生の考えを知りたかった」という投稿の理由も、意味がよくわかりません。

内容でひとつ気になったのは、「あの嫌われようで」という表現です。これは、この男性の主観なのでしょうか。もしそうではなかったら、彼女は大丈夫かと少し心配になりました。

自分が教師から暴力や暴言を浴びた経験はありません。ですが、反抗期も手伝って、中学では特に「先生」という立場が信用できませんでした。「どうせ何もわかってくれない」という気持ちが強く、個人的な相談をしたことはほぼないと思います。ただ、生徒が身近な大人である教師のことをよく観察しているように、教師も生徒をよく見ています。卒業してから恩師と話していて、頑固な性格や勉強不足など、直接は言われなくても欠点も含めて見られていたのだと知りました。

「どうせわからない」「伝わらない」と、根気強く言葉でコミュニケーションをとることを怠ってしまうのは、双方とも同じではないでしょうか。年の離れた子どもたちにどう伝えるか、現場の教職員は常に悩んでいると聞きます。自分も「サークルの後輩たちの考えていることがよくわからない」と悩んだことがありますが、よくよく振り返ってみると、そもそもそれを聞き出そうとしていませんでした。教員の過酷な仕事ぶりも度々話題になり、疲弊が余裕のなさにつながっているのかもしれません。だからといって、生徒を傷つける言動が許されるはずはありません。

つい最近も、中学の知人から「部活動の顧問からひどい体罰や暴言を受け、ぼろぼろだった」との告白を聞き、ショックを受けたばかりです。家族は忙しく相談できず、学校でほかの教師に相談しても見て見ぬふりをされたそうです。ただでさえ他者の反応に敏感になる時期です。そういう時に自分を否定するような言動をとられたら、私たちは大人が思っている以上に深い傷を受けます。

冒頭の問い、共感はできなくても、同じ教師なら思い当たる理由があるでしょうか。聞いてみたいものです。

参考記事:9日付 朝日新聞朝刊(東京14版)34面(社会)「教職員、生徒装いネットで女生徒中傷 『顔で損してる』」