メディアの敗北と言われた米大統領選から8か月以上たち、メディアの再興やネットリテラシーという言葉が叫ばれる今日この頃です。大手メディアの信頼は低下し、ネットやラジオなどの比較的小規模で運営される媒体の支持率が急上昇していると言われています。そんな中、昨日から読売新聞は「米国のいま」と題し、メディアの現状を考える特集を連載しています。
昨日の記事では、『保守やリベラルと思想に関係なく、人々がその情報の真偽を確かめようとせず、都合の良いものは「真実」悪いものは「偽」と片付けてしまう。また、SNSがそれを助長している。』と指摘しています。かなり問題の本質を捉えている記事だと思いました。
特に後者のSNSの役割は、私たちの生活に顕著に表れています。人と人との繋がりを広げ、情報の伝達スピードを速めている点で非常に便利なツールです。加えて、誰でも使えるため、アルカイダの指導者ビンラディンへの急襲作戦がリアルタイムで中継されたり、白人警官による人種差別的な射殺事件が映像として公開されたりと、これまで隠れていた情報が公になりやすくになりました。そうした意味で情報社会に革命をもたらしています。
しかし、その伝達速度の速さゆえに伝聞過程で変化してしまったり、誤りがあっても訂正が伝わりにくかったりしてしまいます。発信される情報自体に十分なソースのチェックがないもの、憶測が事実とされている情報が今まで以上に拡散されてしまい、今のフェイクニュースの発信源となってしまっているのです。
また、情報が莫大にありすぎるので受け取り手も、全てに対して真偽の検証を行うことが鬱陶しくなってしまっているのではないでしょうか。現に私はそうです。
そうした背景を基に台頭してしまったのが、白黒で切り捨てる「二元論」です。「ネットやラジオが正しく、マスコミは間違っている」や「ネットには嘘しかない」といった考えは単純で理解しやすいものですが、事実を受け入れることができなくなってします。なぜなら物事というものは、一つ一つの事柄が非常に単純なものであっても、いくつか重なりあい、複数のアクターがそれに違った反応をすることにより複雑なものになってしまいます。そのため、単純化された考えだけでは深層部分にたどり着けないためです。
また読売、産経新聞は「右翼」、朝日、毎日新聞は「左翼」といったレッテル貼りも思考プロセスを排他的なものに変えてしまうため同様に好ましくない行為です。こうした適切にものを分析するために必要な柔軟性を欠いてしまうからです。
メディアの多極化からこうした教訓を汲み取ったとしても、これからどのように変化していくかは未知数です。しっかりと見守っていきたいと思います。シェイクスピアは、「簡潔こそ智慧の神髄」と述べましたが、時としてそれは仇となるようです。
参考記事:
27日付 読売新聞朝刊(14版)6面(国際)「ラジオから過激評論」
26日付 読売新聞朝刊(14版)6面(国際)「都合のいい情報が「真実」」