「育児放棄 ネグレクト 真菜ちゃんはなぜ死んだか」(小学館)という本を読んだことがあります。この著書では、3歳の女の子、真菜ちゃんが餓死するに至るまでの経緯と原因を両親が育ってきた環境や周囲との人間関係から丁寧に描き出しています。
真菜ちゃんが亡くなるまでに、児童相談所はネグレクトの兆候があると判断し、両親の祖父母宅に預けたり、自宅を定期的に訪問して様子を窺ったりするなどの対策を取っていました。しかし、彼女は命を落としミイラのような状態になって発見されました。著書の中では、数々の対策がうまくいかなかった原因は、両親の精神的な問題に寄り添えなかったこと、彼らと彼ら自身の両親との関係性を考慮せずに「肉親の元で育てられるべきだ」という考えに固執したこと、そして、虐待に関する専門性の低い職員が問題に対処せざるを得なかったということをあげています。
21日付読売新聞朝刊で取り上げられていた、英智ちゃんの虐待事件でも児童相談所は体の傷に気づき、対策を取っていましたが虐待を止めることはできませんでした。
虐待で幼い命が失われる事件が後を絶たない中、これまでの反省を生かせているのでしょうか。
私は児童相談所だけに対処させるべき問題ではないと思います。近所の人々の「気づき」も虐待を止める大きな要因になります。隣に住む人の顔さえ知らないという状況が珍しくない今、気づいていても介入するのをためらい、手遅れになるケースも少なくないようです。まずは、周囲に関心をもつ、隣近所に住む人と顔なじみの仲になる、といった私たちの行動が、幼児の悲劇を食い止める大きな一歩になるように思います。
参考記事:
21日付 読売新聞朝刊(大阪14版)35面(社会)「孤絶 家庭内事件 第三部幼い犠牲」