働き方改革のはざまで

 夏、突入。高校野球の各地方大会が始まるなど、熱さが暑さを超える時期になってきました。空手を教えている子どもたちも、1か月後に全国大会を控えています。彼らにはこれから厳しい稽古が待っているでしょう。そして、先生である私自身も厳しい夏にしたいものです。先生として、偉そうなことを言っている以上、子どもたちに恥ずかしくない動きをしたいからです。そのための努力を惜しむ気はありません。

 そんな大学生の一趣味と同等に考えること自体、ひんしゅくを買ってしまうかもしれませんが、「働き方」についても自分が望むのであれば、思う存分働いてもいいのではないでしょうか。

 今日の朝日新聞には、「働き方 記者も手探り」と題して記者自身の働き方について見直す記事がありました。連日のように働き方改革について報じている新聞。それを取材している記者が長時間労働をしています。自らのことは棚に上げて論じてきたのです。そんな新聞社が自らの働き方について、取り上げることに驚きました。

 いつ起こるか分からない事件や事故に対応するには、記者の長時間労働は仕方のないことのように思います。「仕方ない」といってしまえば、他業界、他業種でも同じかもしれません。そういう点では、一概に長時間労働がよくないと言えないと感じます。

 重要なのは、働き手がそれをどう思っているかということではないでしょうか。努力を惜しまず、働きたいと思っているのか、それとも今以上の仕事をしたら、命や生活を維持できないと悲鳴を上げているのか。自分に合った働き方ができることや、自分のやりたいように働けることが一番だと感じます。

 そんな柔軟な働き方できるようになるには、まだ時間がかかるでしょう。人々の奥底に宿る「昔からの習慣なのだから」や「みんな、まだ仕事しているのだから」という思いを一掃できないかぎり難しいように思います。そういう現実を踏まえれば、まずは一律に長時間労働を禁じ、人々のハードルを下げる必要があるのかもしれません。

 さて、こんな戯言が許された大学時代もまもなく終わり、来年4月には実社会の洗礼を受けます。私にはどんな働き方が待っているのでしょうか。

参考記事

9日付 朝日新聞 13版 4面 「働き方 記者も手探り」