ちょっとお願いがあります。
これを読んで頂いているみなさんは、ご近所さんにこのようなお願いができますか。また、このようなお願いをされたらどうしますか。ちょっと考えてみてください。
聞いておきながら、筆者はこの問いに答えることができません。理由は簡単です。会ったことがないからです。どんな方がやって来るか分からない以上、想像できないというのが本音です。インターネットやSNSの普及により、広域での「コミュニティ」の形成が容易になる一方、身近な領域の人々とのつながりが弱くなっていると筆者が感じる今日この頃、先週は災害時における「コミュニティ」について書きましたが、今回は日常における「コミュニティ」についてみなさんと考えてみたいと思います。
大分県中津市では、市の社会福祉協議会の支援を受け、市民が設立した「沖代どんぐりサービス」があり、この組織では「ご近所付き合い」の機能を維持することを目的に炊事や掃除などの家事援助を高齢者に提供しています。この組織が活動している地域が70年代に開かれた土地であるため、住んでいる人はお互いをよく知らない状態が続き、ご近所さんへの『ちょっとお願い』が難しい現状を打破することを目的としています。
筆者のような大学生、若い世代の多くは体力もあり、日常生活で誰かの手を借りる必要がある場面がほとんどないことからも、「コミュニティ」の必要性を感じる場面は少ないですよね。それに加え、若い世代に限らずとも、知らない人に「ちょっとお願い」はなかなか難しいですよね。新しい学校やクラスで声をかけるのに緊張するのと近いのではないかなと考えています。
先週取り上げた広島市での豪雨災害では自治会などのコミュニティが救出に力を発揮したこともあり、非常持での機能は言うまでもないでしょう。しかしこの機能を発揮したのは、地域の人々がお互いに状況をよく知っていたからではないでしょうか。おそらく筆者の暮らす地域で何か災害が発生した場合、誰がどのような暮らしをしているか分からず、地域の中で住民が自主的な救出を行うのは難しいのではないかなと考えています。この機能の根底にあるのは、日々の交流であり、非常時に発揮する力ではなく、日々の交流こそ「武器」ではないでしょうか。とはいいつつ、筆者と同様、客観的に重要性は理解していても、ご近所と疎遠な関係が続いていても特に困っているわけではなく、なかなか実感が湧かない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
友人との関係ではお互いに「ちょっとお願い」が日々飛び交う日常、若者にとってありふれた日常でしょう。しかし、ご近所付き合いとなると、それがなかなかできません。何故でしょうか。また、ご近所との関係はどのような力を発揮していくのでしょうか。もしかしすると、地域によっては不要なのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
参考記事:本日付朝日新聞(東京14版) 31面(生活面)「ご近所力、影にひなたに」 より