ラフマニノフの調べに乗せて、力強く華麗に、銀盤を舞う。フィニッシュは万感の表情で、涙があふれ出た。自身の集大成と位置付けて挑んだソチ五輪。まさかのショートプログラム16位から生まれた圧巻のフリープログラムは、記憶に新しいでしょう。当時、筆者は受験生。勉強時間の合間を縫って、テレビ画面越しに応援しました。魂のこもった演技に胸が熱くなると同時に、絶対に最後まであきらめないこと、不安が押し寄せても自分の弱さに負けないことの大切さを教えてもらいました。
私のフィギュアスケート人生に悔いはありません
昨日、フィギュアスケート界を長年けん引してきた浅田真央選手が、引退を表明しました。2010年のバンクーバーオリンピックでは、銀メダルを獲得。世界選手権やグランプリファイナルを制するなど、数々の偉大な記録を残しました。ソチ五輪後、一年の休養を経て、今後は平昌五輪を目指すと明言していました。ですが、不本意な結果に終わった全日本選手権の後、「自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」。と、自身のブログには率直な思いが綴られています。
浅田選手のトレードマークといえば、会心の演技後に見せる笑顔。15歳で主要な世界大会を制し、一躍トップ選手に駆け上がると、国内外を問わず多くのファンに愛されてきました。笑顔の裏にある芯の強さもまた、彼女の魅力です。こだわり続けたのは、代名詞のトリプルアクセル。怪我をしても、スランプに陥っても、ジャンプの難易度を下げずに、試合で挑戦を続けました。ただまっすぐ貪欲に自分のスタイルを貫き、血の滲む努力を重ねる姿はカッコいい。アスリートとして、人間として、憧れていました。佐藤コーチは、指導で一番苦労したことは「練習をやめさせることだった」と話します。演技にも、競技に取り組む姿勢にも、フィギュアスケートに対する愛が溢れていました。
この競技は、スポーツと芸術の融合です。氷上の表現者として、演技には選手ひとり一人の人生や生き方が表れます。キム・ヨナ選手との熾烈な対決や母の死、ジャンプの改造によるスランプ…。様々な挫折と逆境を乗り越えたからこそ、年を重ねるごとに、優しさと強さを兼ね備えたプログラムで奥深い物語を紡ぎました。緊張感漂う銀盤で、勝負師としての姿を見られなくなるのは本当に寂しいです。それでも、数々の名演技は、私たちの記憶にしっかりと刻まれています。真央ちゃん、素敵な演技を、笑顔を、ありがとう。
参考記事:11日付 読売新聞 13版 1面「浅田真央 引退」
朝日新聞 14版 1面「浅田真央、引退表明」
27面 「葛藤抱え 跳び続けた」
39面「真央ちゃん お疲れ様」