「自分でお化粧をしたことがありません」「お化粧が義務化されているような雰囲気に疑問を感じます」
朝日新聞の「声」欄に載ったこの投稿に、様々な反響が寄せられたそうです。例えば、「化粧は好きだけど押し付けないで欲しい」「自分らしさの演出の一つ」などです。その投稿を書いた人は私と同じ女子大生。私も化粧について議論の輪に加わります。
第155回芥川賞受賞作『コンビニ人間』(村田沙耶香・著)を思い出しました。主人公の古倉恵子は36歳。同じコンビニでバイトしている同世代である女性のロッカーを漁っては、服やバッグのブランドをあらため、化粧ポーチを調べて「正しい30代女性」を学ぶ。そうして「これが30代の普通なのか」と考え、自分を作り上げる。なかなか「普通」の感情がわからない姿が描かれています。そして、彼女の友人や家族は「普通」の物差しで「結婚しないのか」「就職活動はしないのか」と質問攻めにします。
化粧の話に似ていると思います。記事の「化粧が義務化されているような雰囲気」というのは「当たり前」「普通」からの圧力なのでしょう。よく大学1年生の女の子は「華の一女」といわれます。私もその期待に合わせた方がよいのではないかと思い、同世代が読むファッション雑誌を手にしたことがあります。化粧の特集を参考に、まねをしてみましたが、徐々に世間一般の需要に応えようとする自分に疲れてしまいました。それからメイクの研究はやめました。すっぴんで大学に通うことも多くなりました。周りから「手抜きだ」と言われます。ですが特に気にしていません。
誰かに強いられることなく自分らしくいられるようにすると、日々が楽しくなり自然と笑顔になります。あくまでもメイクは自分らしさの手段の一つに過ぎません。確かに、メイクをすることでコンプレックスだった目の下のクマを隠すこともできたりすれば、気分が明るくなるでしょう。要は、化粧はしたい人がすればいいだけ。世間一般の反応に神経をすり減らす必要は全くないはずです。
29日付 朝日新聞朝刊(東京12版)16面(オピニオン面)「(声 どう思いますか)「化粧」をめぐって様々な反響」