新聞記事を道徳の教科書へ

 昨日、文部科学省が2018年度から使われる小学校の教科書検定結果を発表し、申請した8社の全24点が合格しました。今までの読み物からの脱却を図り、「考え、議論する」問題解決型への転換を図るものが相次ぎました。一方で、「国や郷土を愛する」「公共の精神」などの学習指導要領の内容に従っているかどうかが、細部に至るまでチェックされています。検定意見が出された出版社は、町を探検する話題で、アスレチック公園で遊んでいる子供たちの写真が和楽器を売るお店に差し替えられるなど、一部内容を改めました。

 そもそも、道徳の授業はどのような目的で行われるのでしょうか。教育基本法第2条によると、教育の目的として「道徳心を培う」ことが明記されています。文部科学省によると、道徳教育は児童生徒が人間としての在り方を自覚し、人生をよりよく生きるために、その基盤となる道徳性を育成しようとするものとしています。

 しかし、上記の目的を達成することができるとは思えません。細かい部分にまで国からの指摘を受けた教科書。そこには国にとって望ましい一定の価値観が示されています。筆者が道徳の授業を受けたときは、大体授業参観日か研究授業でした。授業の始まるときには、教室の後ろにスーツを着た人が何人も来て、全員が無表情で座っていました。その中での発言は「大人の常識」を言わされているようで、あまり好きではなかったのをはっきりと覚えています。ただ、授業で扱った題材自体は読んでて面白かったと記憶しています。手元にある中学2年の時の道徳の教科書を見ると、朝日新聞の記事やコラムなども掲載されていました。

 筆者の知人が中学生のとき、非行に走りかけたことがありました。その時に、スクールカウンセラーから受けた「いろんな価値観に触れることが大切だから、いろんな人の話を聞くといい」というアドバイスで救われたと言っていました。聞く機会がなくても、人が書いた文字に触れるだけでもいいと思います。投書欄やコラムなど、多くの人の意見を得られる場が新聞にはあるのではないでしょうか。

参考記事:
25日付 各紙朝刊(東京13版)「道徳教科書検定結果公表」関連面