「クロネコヤマトの宅急便」の愛称で知られるヤマト運輸が、宅配便の荷受量を制限することが、2月24日のあらたにすで紹介されています。それに引き続き、ドライバーが長時間労働を強いられている現状を改善するため、運賃そのものの値上げも検討されることになりました。
8日の朝日新聞では、ヤマトのドライバーが「利益を従業員のために使って、働き方を見直すだけでなく、業界を正すつもりでやってほしい」と語っています。確かに、ネット通販などの他業界への影響も考えられますが、何よりも注目すべきは、ライバル業者の反応です。他社がヤマト運輸の配送料値上げに追随するのか否か。それがこれからの運送業界のあり方を左右することになります。
配送料が高くなる、と聞くと、少し残念な思いがします。しかし、このような問題が起きているのは、今までの価格が適正水準ではなかったからです。需要量に適した価格設定がなされていないため、需要が過大な状態に陥ってしまっています。具体的な商品販売なら、実際に提供するもの自体がなくなるため、超過需要状態では「在庫切れ」や「販売中止」になりますが、サービス業の場合は、労働者の無理によって供給が可能になってしまいます。この結果、今のような長時間労働が実現してしまうのです。
現在、労働条件の悪さが各業界で問題とされていますが、その根底には「おもてなし」の乱用という問題が横たわっているように思います。学校教員が長時間労働を強いられているのは、「先生は生徒のために時間を使うものだ」という考えが根付いているから。無理な注文でも、多少は「お客さまのためなら」無理をしなければならない。サービスだけでなく、雇用関係でも当てはまります。「雇ってくれているのだから、体に無理をしてでも会社に貢献しなければならない」……。
「もてなし」という概念が、過剰に使われています。
そもそも、労働には適正な対価が支払われてしかるべきです。日本の「おもてなし」の心は美しいものとされていますが、それは、利用者に、支払った対価を超える、期待以上のことをして嬉しく感じてもらうもの。労働者が当然のように要求されるようなものでは決してありません。サービスの提供者が「利用者に喜んでもらおうと」、自らの思いで行うものであるべきです。「おもてなし」の心があって当然という風潮が依然ありますが、それは提供者側が理念として掲げるもので、消費者側がもつべきものではありません。
にもかかわらず、サービス提供者は「サービス」を、多少無理を伴ってでもするのが当たり前、という考えが蔓延しているように感じます。前述のあらたにすでも「当たり前」を見直すことが挙げられていましたが、我々が「当たり前」だと思っている「もてなし」の認識を変えなければいけません。
不適正な価格でのサービス提供は、「当たり前」でも「消費者の味方」でもなく、ただの「おもてなし」の強制です。適正価格でのサービス、その上での自発的な「おもてなし」。それなくして、現在の日本の労働問題は解決されないように感じます。
参考:8日付 各紙朝刊 ヤマト運輸料金値上げ関連記事