もしネット上に自分の悪口を書き込まれたら、と想像してみてください。その内容が事実でも、そうでなくても、受けるショックは大きいものです。自分の悪口がネットに投稿されたら、消したいと思うのは当然のことです。その拡散力は非常に強いため、削除依頼を一件一件していくのは、非常に骨の折れる作業になります。悪意ある他者のせいで、そうした労力を払わされていることを考えると、悔しく感じることでしょう。
もしも代金を払えば業者がやってくれる、というのであれば、お金に余裕のある人なら喜んで支払うはずです。消費者の需要に応えるこのサービスが最近市場を拡大しているようですが、東京地裁は20日、この業務が「弁護士以外が法律事務を行う行為にあたる」として、違法との判断を下しました。
21日の朝日新聞朝刊では、「今回の判決は、当事者や弁護士でない第三者の求めによって、法的根拠がないままネット上の情報が削除され、表現の自由が損なわれる危険性を指摘したものといえる」と説明されています。実際に名誉毀損にあたらないような投稿までが、業者の機械的な削除作業で失われる可能性もあります。
また、商品や企業の批判なども業者への依頼で隠蔽されるかもしれません。企業にとっては自社への批判はもみ消したいものでしょうが、消費者からすると正当な評価を下すための重要な情報です。資金を持つ者が自分にとって都合の悪い情報を、カネの力で隠蔽できてしまうようになれば、良いものが良いものとして評価されず、悪いものは改善されないままはびこることになり、市場社会が崩壊してしまいます。
一方、業者に削除の代行を頼めなくなると、誹謗中傷の被害者は、自身で削除依頼を出すか、弁護士に依頼するしか方法がありません。弁護士への依頼もお金がかかりますし、お金のない被害者は泣き寝入りすることになるかもしれません。 ネットへの悪意のある書き込みは取り締まることができません。すべて削除してもらうことも、生半可な労力では達成できません。業者の代行という道も、「表現の自由」という私たちの大切な権利を脅かす副作用を伴いかねないわけです。
とはいえ、護るべきなのは「悪意・害のない投稿」と、「誹謗中傷の被害者」です。「悪意ある」「誹謗中傷の」投稿は、被害者のためにも一掃されるべきです。その線引きは、我々利用者のモラルに委ねられています。何でも簡単に世界中に発信できるようになった今の時代、きちんとした判断力をもってネットを利用できる人は減っているように感じます。
ネットに悪口を書き込むのは、軽い気持ちで行えます。しかしその逆もあり得るのです。自分が誹謗中傷の対象になるかもしれない。自分は加害者にも被害者にもなり得るのだとみんなが理解してネットを利用しないことには、表現の自由までもが脅かされる危険性を排除することはできません。
参考:21日付け 朝日新聞朝刊 「請負、弁護士以外は違法 ネット上の記事削除依頼」