賭博は公益を増大させるか

道徳的にせよ自然的にせよ、いわゆるこの世で悪と呼ばれるものこそ、われわれを社会的な動物にしてくれる大原則であり、例外なくすべての商売や職業の堅固な土台、生命、支柱であること、そこにわれわれはあらゆる学芸の真の起源を求めなければならないこと、悪が消滅するとすぐに、社会はたとえ完全には崩壊しないにせよ、台無しになるに違いない。

バーナード・マンデヴィル『蜂の寓話』より

オランダに生まれたマンデヴィルは、「私益すなわち公益」と唱え、「悪徳、堕落、奢侈」といった、通常忌み嫌われる人間の性質があるおかげで、社会の発展がもたらされると主張しました。悪徳は、社会から追放することができない性質であるが、たとえそれを駆逐することができたとしても、その社会の有効需要が激減し、社会そのものが衰退してしまう――。
社会思想史の授業でマンデヴィルについて学んだとき、筆者の頭に自ずと浮かんだのは、「ギャンブル」のもつ社会的効用のことでした。

14日、以前からあらたにすでも取り上げられていた、「カジノ解禁法案」が参院本会議で可決されました。「カジノ法案 たった2日の採決」で指摘されていた衆院での議論同様、参院でも十分な議論はなされないままの可決となりました。特に、依存症対策に関する具体案はほとんど示されず、「政府に丸投げ」と批判を浴びています。

解禁に積極的な意見として、雇用の創出があげられています。確かに、たくさんの人がカジノのためにIRを訪れ、有効需要を増大させることで、多くの雇用が生み出されます。マンデヴィルの言う、「悪徳が社会の発展をもたらす」ことにも通じます。
しかしながら、もたらされる公益の増加は認めるとしても、それに併発するデメリット、ギャンブル依存に関する議論はほとんどなされていません。現在日本では、推計で536万人にギャンブル依存の疑いがあると言われていますが、カジノを解禁することによってその数がさらに増えるという懸念があります。

対策として、入場料を高く設定する、出入り禁止の方法をとるなどの方法があげられていますが、論点が甚だしくずれているように感じます。依存症になるということは、その後も長期的にその病気とつきあっていかなければならないと言うことです。それは、患者本人だけでなく周囲の者にも当てはまります。彼らの人生を壊すといっても過言ではありません。対策すべきなのは、「依存している人をカジノに入れる」ことではなく、「カジノによって依存症になる」ことなのです。

カジノという場が開かれる限り、その増加は避けられません。確かに雇用は生まれ、公益は増大します。しかしそれがたくさんの人の人生を狂わせるのです。解禁が決まってしまった今、患者の増加をいかに抑えるか、そして、依存症克服の支援をどのように行うか、本腰を入れて議論してほしいものです。ギャンブル依存を「自己責任」と処理していい状況では、もはやないはずです。

参考:15日付 各紙朝刊「カジノ法案可決」関連面