戦後80年を迎えるこの夏、大阪にある中之島香雪美術館では9月7日まで「土田ヒロミ写真展 ヒロシマ・コレクション―1945年、夏。」が開催されています。この写真展を通して考えるリレー連載の第二弾です。今回は7月27日に開催された写真家の土田ヒロミさんと広島平和記念資料館副館長の豆谷利宏さんによる記念講演会「被爆資料を残すこと、伝えること」を取り上げます。
講師のプロフィールについて紹介します。
土田ヒロミさんは、1939年福井県生まれ。化粧品会社退職後、フリーランスの写真家として活動を開始。75年頃から50年間、被爆地広島を撮影し続けています。豆谷利宏さんは、84年から広島市の職員となり、広報などを担当した後、2003年から資料館へ。その後広島へのオリンピック誘致などを担当し、5年前から現職を務めています。
この講演会は、「土田ヒロミ写真展 ヒロシマ・コレクション―1945年、夏。」の開催に伴って実施されました。中之島香雪美術館の副館長、有木宏二さんを聞き手に二人の対談形式で進められ、被爆資料を残すこと、伝えることに対する思いを聞くことができました。
お二人が出会ったのは、約2年前です。しかし、以前から豆谷さんは土田さんが撮影した『ヒロシマ・コレクション』を見て「写真にこれほど伝える力があるのかと感じていた」と話します。資料館としても土田さんが撮る写真のような形で図録を残したいという思いがあり、資料館に寄贈された原爆犠牲者の遺品を土田さんが継続的に撮影する運びになりました。
土田さんは、以前から日本の現代社会を写すことをライフワークに活動されています。なかでも、半世紀にわたり撮影し続けてきた広島に強い思いがあるようです。有木さんの「なぜ広島なのか」という問いかけに「原爆、核兵器は地球そのものを滅ぼしかねない。人類全体がいつも充分に考えていなければいけない。広島は日本ということを通り越して人類の存在にかかわる、もっと大きい問題だから」と答えます。
展示されている写真に関しては「より客観的な資料として撮る。物が持っている形をありのままに撮る。悲惨さを拡大して撮ろうということではなく、ありのままで。被爆資料は過去の物ではなく、生きている私たちとの距離はそう遠くなく、現在と繋がっていることが伝われば」と話します。
着衣、弁当箱、カバン、人形などありふれた日常的なものを写真に撮ることで、今を生きる私たちが自分たちの生活に起こったことと同じ出来事として認知できることを目指しました。資料写真のように撮影する方法に対して豆谷さんは「ニュートラルに展示したい資料館の展示と土田さんの写真に対する考え方は共通している部分がある」と話します。お二人の言葉を通して「物」にしか語ることができない事実の重みについて考えさせられました。
写真展の様子(中之島香雪美術館提供)
戦後80年を迎えようとしている今、歴史を残し伝える手段は多種多様になったといえます。写真だけではなく、VRをはじめとした最新技術で被爆の実態を伝える試みもみられるようになりました。当時を知る語り部の方たちの高齢化や保管されている現物資料の経年劣化といった現状を考えると、新たな伝え方を模索する必要もあるかもしれません。一方で、土田さんと豆谷さんお話を聞いて、実物の資料があってこそ重みを伴って伝わるものがあると感じます。
実物そのものを何も飾らずにそのまま伝える展示を見て、筆者自身、当時の日常がまるで今そこに在るように感じ、そしてたった一発の原子爆弾によって残虐にもその日常が奪われたという事実を重く感じ取ることができました。これまでに筆者が目にした原爆の悲劇性を取り上げる展示は、その悲惨さからなかなか直視できず、想像力を働かせる余裕がありませんでした。一方で、実物の写真と短い文章によって伝えるこの展覧会ではきちんとその事実を受け止められたように思います。
「土田ヒロミ写真展 ヒロシマ・コレクション―1945年、夏。」は、大阪にある中之島香雪美術館にて9月7日まで開催中です。8月1日から31日まで、学制証を提示すれば小学生から大学生・大学院生まで無料で入館できます。戦後80年を迎えるこの夏、本展が80年前に起きた現実と向き合うきっかけになれば幸いです。
参考記事
2025年7月19日付 朝日新聞朝刊「被爆した人と街、ポスターで紹介 東京・国連大学で展示 /広島県」
参考資料
「土田ヒロミ写真展 ヒロシマ・コレクション―1945年、夏。」パンフレット