友人と先月、映画『52ヘルツのクジラたち』を観ました。声にならないSOSを発する人に寄り添うような、素敵な内容でした。この作品に救われた人もいることでしょう。
筆者は原作小説を読んだ後に映画を観ました。映像と活字、描く内容や表現の違いから、作品によって傷つく人を少なくするための工夫が伝わってきました。
※本稿では物語の詳細に触れています。
この作品は、心に傷を抱え、東京から海辺の町へと移り住んできた貴瑚が、虐待され、声を出せなくなった少年と出会う場面から始まります。自身や恩人の過去と、少年の現在に共通点を見出した彼女は、少年の苦しみを見過ごすことができませんでした。彼に寄り添うことを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り、救い出してくれた恩人安吾とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時に自らも聴くことのできなかった声を聴くために、もう一度立ち上がります。(参考:映画『52ヘルツのクジラたち』HP)
作品中、声にならないSOSを発する人は3人います。
ここで注目したいのは、安吾がトランスジェンダー男性※1である点です。安吾を描くこの作品は、クィア※2を描く映画でもあります。
※1)トランスジェンダー男性
生まれた時に割り当てられた性別が女性で、性自認が男性の人。
※2)クィア
既存の社会規範やカテゴリーにあてはまらない性的マイノリティー及び態度を主に指す。そうした人々への連帯を示す表現としても使用される。
原作小説においては、当初は安吾の性に言及はなく、読み進めることで明らかになります。物語の意外性としての重要な「設定」のひとつでもあります。ところが、公式HPのキャスト紹介ではこのことが触れられていたことから、「ネタバレ」をしていると驚きました。
しかしこれは、小説で傷つくことがなかった筆者の安直な考えでした。
安吾はトランスジェンダー男性であることを理由に、ひどい攻撃を受けます。身近な人によるアグレッション※3やアウティング※4も描かれています。視聴者の中には、フラッシュバックをしてしまう当事者がいるかもしれません。作品における意外性は魅力の一つとなりますが、それが人を傷つけるものだとしたら、魅力ではなくただの攻撃です。
※3)アグレッション
無意識に行われた攻撃。マイクロアグレッションともいう。
※4)アウティング
性自認や性的指向を本人の許可なく言いふらす行為
また、トランスジェンダーへの嫌悪以外にも、児童虐待やDV、自傷、自死など、人によってはフラッシュバックのきっかけとなりかねない表現がいくつか描かれます。「観ない」という選択肢を取ることができるように、映画HPには以下の文が記されています。
この箇所をクリックすると、映画で描かれている「懸念のあるシーン」を事前に知ることができます。相談窓口への案内も記されています。このような注意を「トリガーアラート」と言います。
また、事前に注意を促すだけではなく、作品中の表現への考慮も欠かせません。この映画では、トランスジェンダー男性の俳優若林佑真さんが「トランスジェンダーの表現をめぐる監修」のために制作に加わりました。偏見を助長せず、当事者の内面を伝える表現にするために活躍されました。
映画や本などは人に勇気を与え、安らぎをもたらします。人生を豊かにする効用もあります。だからこそ、人を傷つけるものになってほしくない。作品に触れたことで苦しむ人を減らすためには、観ないという選択もできるようにする、作品中の表現に当事者や専門家の監修をつける、といった対応が求められています。それを当たり前にしていくことも。
参考記事:
・3月22日付 朝日新聞デジタル 「不適切にもほどがある!」への違和感 すっぽり抜け落ちたものとは
・3月18日付 朝日新聞デジタル 「52ヘルツのクジラたち」トランス男性の描き方 悩み、伝えたこと
・3月15日付 朝日新聞デジタル 映画『怪物』クィアめぐる批判と是枝裕和監督の応答 3時間半の対話
参考資料:
・23年12月20日付 NHK なぜマイクロアグレッションは起こるのか?