近年、人工知能(AI)の発展は驚異的なスピードで進んでいます。機械学習やディープラーニングの技術革新により、AIは従来の業務やタスクにおいても人間に匹敵するあるいはそれ以上の能力を発揮し始めています。〈中略〉したがって、未来を見据えた日本の教育は、単なる知識の伝達や認知能力の養成だけでなく、非認知能力の育成にも重点を置く必要があります。この記事では、その具体的な取り組みや教育の方針について探っていきます。
以上は、「最近のAIの発展と、そのAIに勝つためには非認知能力が必要だという2点を踏まえた上で、今後の日本教育に関する記事の冒頭を書いてください」という指示を受けたチャットGPTが書いたものです。文章力も含め、改めてAIの脅威を感じます。
どうすればAIに仕事を奪われないで済むか。そんな現代人の悩みに答える記事が昨日の読売新聞に載っていました。そこでは、創造性や協調性など人間しかできない能力、「非認知能力」を教育することだと言います。知識量を追求するような従来の教育で得られる「認知能力」と異なり数値で測定できない能力を指し、「近年、身につける学力の一つとして注目」されているようです。
非認知能力が示す概念は広く、筆者もいまいちつかみきれない所がありました。ただ、その言葉が聞きなれないだけで、例として挙げられているのは「広い心」「誠実性」「外向性」「協調性」「感情抑制」などで、正に人間力と言われるような既視感のある項目ばかりです。しかしはたして、それらは改めてその重要性を確認するに足る素養なのかと問われると疑問が残ります。
従来の指導法とされる知識偏重型の教育は、実は何十年も前から見直されています。記事では、知識量型だった教育制度から非認知能力を重視する現行の学習指導要領までの変遷がまとめられており、少なくとも1992年度には子供の関心や意欲、態度を重視する「新学力観」が掲げられていることがわかります。2020年度から実施されている現行の指導要領のいう非認知能力とは「実社会で役立つ力」で、過去の要領とは目指すものが異なるようですが、やはり昔から必要と思われている能力の焼き増し、あるいは上書きでしかないと思います。
この記事を読み、今後の教育についての学びを得た一方で、「測定できない能力」と定義される非認知能力を、「個々の能力を評価しなければならない」現行の社会で、指標としてどれだけ浸透させることができるかという点の方が重要ではないかと思いました。社会が評価すれば、自ずと教育の場にも広がっていくはずですから。また、生徒一人一人の個性に寄り添うことが、学校という場においてどこまで実現可能なのかについて、更なる議論と具体性が求められると考えます。
参考紙面:
・2月18日付 読売新聞朝刊(埼玉12版)6面(言論) 「[あすへの考] AI時代こそ 「非認知」学力」
参考資料:
・中村高康著 「暴走する能力主義 ―教育と現代社会の病理」 2018年発行 ちくま新書