なぜ歴史を学ぶのか 「物語」だけでなく「現代社会のため」の授業を

歴史学習はしばしば「出来事の羅列を覚える暗記科目」と捉えられます。暗記が苦手な人、歴史上の物語に魅力を感じなかった人々は、えてしてネガティブなイメージを持つものです。

では、教科書はどう説明しているのでしょう。

私たちはなぜ歴史を学ぶのでしょうか。それは、私たちの未来を考えるために歴史が必要とされているからです。

(社会の)問題を解決するために、歴史が役に立ちます。歴史は、人々が過去にどのようにして課題を克服しようとしたのかを教えてくれるからです。より良い社会を作り出そうとする人々の姿に学ぶことで、私たちはより平和で豊かな社会を追い求めることができるのです。 (東京書籍 中学校社会科用『新しい社会 歴史』より)

私も、歴史を学ぶ意義はここにあると思っています。ただ、問題なのは、学校の授業などでそれを実感しにくいこと。

歴史の授業でアクティブラーニングを取り入れると、しばしば「なぜ〇〇が起こったのだろう?」「この出来事は当時どのような影響を与えただろう?」という問いが生徒に投げかけられます。大抵、教科書を見ればある程度答えがわかるような課題です。確かに、これに取り組むことで、現代社会の事件や社会問題を見たとき、「なぜこういうことが起こるんだろう?」とその原因を探ったり、「この事件は今後社会にどういう影響を与えるのだろう?」と予測したりする力の育成が期待できます。このような力を育むことも、資本主義経済で生き抜くためには必要でしょう。

しかし、歴史学習をするときに、「私たちはこの歴史から何を学ぶことができるだろう」「現代に何を生かせるだろう」と自分ごとに引きつけて考える習慣をつけておくことも、同じくらいあるいはそれ以上に大切なのではないかと考えています。

例えば近代化の単元で「なぜ産業革命が起こったのだろう」「どんな影響があるのだろう」と問うだけでなく、「産業革命は良いことだったのだろうか」と評価を促したり、「産業革命から私たちが教訓にできることは何だろう」と問うたりした方が、当事者としての考えることができ、「歴史を学ぶ」ではなく「歴史から学ぶ」ことへの実感がもてます。現代のあらゆる出来事を「評価する」ということは、主権者意識を育てる側面からも大事なことです。また、私たちがより豊かに生きるために、同じ轍を踏まないようにしつつ現代の問題にどう対処するか、という教訓をセットで考える練習までした方が良いと思うのです。

「歴史は物語として、漫画などから知ると面白くなってくる」という定説があります。それによって歴史に興味を持つ人が増えることは素晴らしいことだと思います。ただ、複数が一緒に学んでいるからこそ、多様な評価を語り合う場が大切ですし、授業だからこそ、能動的に、現代社会にぐっと近づけて考える練習をする場を設けることも重要だと思うのです。答えのわからない問題に取り組む人を育てるためにも、あらためて歴史学習の意義を問い直し、それを体感できるような授業が広がっていくことを願います。