水飲み用の蛇口が付いた便器。便器は一度も使用されておらず、水は完全にきれいです。
横に普通の水飲み場もあったとき、あなたならどちらから水を飲みますか?
これは米サンフランシスコの科学博物館「Exploratorium」にある「A Sip of Conflict」というタイトルの展示品です。一見シンプルな心理学の展示のようにも思えますが、理性と直感的な反応との葛藤をあぶりだし、人間が抱える非合理性の深さを測るねらいがあります。ホームページでは「この展示が実際のトイレの隣にあるのは偶然ではない」と説明していることからも、人々が無意識に持っているバイアス(偏見)をあぶりだそうという意図が伺えます。
筆者は、水自体に問題はないと分かっていても便器に付いた蛇口から水を飲むことにどこか抵抗を覚えてしまいます。この展示が実際のトイレの隣にあることや、蛇口に対して便器が占める割合が大きいことからも、この水飲み場を自分の頭にある「トイレ」のカテゴリーから外すことが難しく思えます。
この展示では便器を題材に、私たちが無意識のうちにもっている考えや思い込みを気づかせようとしました。一方で無意識のバイアスは、職場や教育の現場、警察、日常生活など何気ない場所にも潜み、時に誰かを抑圧し不利益をもたらすこともあります。
ジェシカ・ノーデル著『無意識のバイアスを克服する』によると、医療において女性は苦痛を訴えても大げさだとみなされ、黒人は鎮痛剤を処方してもらいにくいと述べています。また米国での実験で、採用の際に同じ内容の履歴書を出しても、男性に多い名前だった者は女性に多い名前だった者に比べて評価ポイントが高く、提示される給与も高かったことを紹介しています。
一方で、警察において職務質問のチェックリストに
「この人物を特定の犯罪に結びつけるような情報がありますか」
という1項目を付け加えたことで、職務質問の対象者が不自然に黒人に偏ることが解消された事例も紹介しています。自分自身のバイアスに目を向けるきっかけがあることで、行動の変化に繋がることの表れと言えるでしょう。
誰かのバイアスに直面するのは辛いことですが、自分自身の偏見に気付き、しっかりと向き合うことも辛くてエネルギーのいることだと思います。無意識のバイアスがどのように生まれ、どのように私たちの行動や社会構造に影響するのか。まずは自らの言動を顧みることから始めたいと思います。
【参考記事】
2023年9月3日付 読売新聞 東京朝刊28面 『[科想空間]「便器」の水 飲めますか?』
2023年7月15日付 日本経済新聞 朝刊29頁「無意識のバイアスを克服する 実例示し個人の変容促す -ジェシカ・ノーデル著(読書)」
2021年10月2日 日経速報ニュースアーカイブ「企業の成長妨げる無意識バイアス、その解消法を聞く」
【参考資料】
A Sip of Conflict | Exploratorium Museum Exhibit
ジェシカ・ノーデル著、高橋璃子訳『無意識のバイアスを克服する』、2023年5月26日、河出書房新社