将棋界 藤井一強だが「人対人」のドラマは終わっていない

先週、藤井聡太竜王が渡辺明名人を下し史上最年少での名人位獲得、史上二人目の7冠を同時に達成しました。7冠とはいえ、竜王と名人のタイトルは別格とされるため、藤井さんの呼称は藤井聡太竜王・名人となります。また、昨日はベトナム・ダナンで、叡王戦以来4年ぶりとなる海外対局が開催され話題を呼びました。対局者は20歳の藤井棋聖と28歳の佐々木大地七段で、ともに20代という若い二人による対局です。結果は藤井棋聖が勝利し、防衛に向け幸先の良いスタートを切りました。両者は夏の王将戦でも対戦するので、棋聖戦5局、王将戦7局の最大12局を戦う「12番勝負」となります。佐々木七段が未だタイトル戦で敗退したことのない藤井棋聖に土をつけるのか。大変楽しみなカードです。

6日の読売新聞文化面では『一強―「人対人」のドラマ終わったか』という記事が掲載され、将棋ファンで小説家の奥泉光さんが藤井竜王・名人があまりに強く、これといったライバルがいない現状を憂いていました。記事でも挙げられていた通り、以前までの将棋界ではライバル対決が注目されていました。

代表なところでいうと、羽生九段を中心とする羽生世代でしょう。小学生の頃、デパートで開催された将棋大会で決勝を争った羽生九段と森内九段は2002年から15年まで毎年のように名人戦を争いました。この間名人位は羽生・森内両者により独占されています。また、その他にも永世棋聖を獲得した現将棋連盟会長の佐藤康光九段や、格調高い棋風で知られタイトルを計6期獲得した郷田真隆九段、斬新な戦法である「藤井システム」を確立し、居飛車穴熊一強時代を壊した藤井猛九段など、羽生九段の全盛期は個性あふれる棋士たちによる群雄割拠の時代でもあり、そうしたドラマがファンを引き付けていました。

羽生世代が一線を退いた後は、八大タイトルを8人で分け合う混沌期が訪れ、その後に渡辺明九段、豊島将之九段、永瀬拓矢王座、藤井聡太竜王・名人による4強時代がやってきます。藤井さんが初タイトルを獲得した20年以降、この4人以外にタイトルを獲得した棋士はいません。当時、将棋界は「四天王」による戦いが暫く続くと考えられていました。渡辺九段も豊島九段も実力者であり藤井さんとのタイトル戦をすべて落とすとは誰も思わなかったためです。

しかし、藤井さんはひとつひとつ丁寧にほかの三人が持っていたタイトルを取り上げていきます。気づけば豊島九段は21年の王位戦、叡王戦、竜王戦の19番勝負ですべて藤井さんに敗れ、全タイトルを失って無冠に。渡辺九段も先月の名人戦で敗れ19年ぶりの無冠になりました。現状では藤井さんのライバルと呼べるような棋士は一人もおらず、奥泉さんの嘆きも理解できます。

ただ、藤井さんがあまりに強いからと言って人対人のドラマは存在します。例えば、現在藤井さんとタイトルを争っている佐々木七段はかつて心臓の病を抱えていました。プロへの登竜門である奨励会時代に師匠である深浦康市九段と二人三脚で努力を重ね、今やタイトルを挑戦するまでになりました。また、昨日の対局で着用した着物はそんな恩師が王位戦でタイトルを奪取した際のもので、師匠からの期待を背負っての挑戦でした。佐々木七段を含めこれからさき最強の竜王・名人に挑戦する棋士は、全員が小中学生の頃からタイトルを夢見て将棋に人生をかけ、奨励会の難関をくぐり抜けてきた俊英です。誰にもドラマがあります。

また、将来藤井竜王・名人のライバルになる若手棋士たちも着々と力をつけています。竜王・名人と同い年の伊藤匠六段は竜王戦のランキング戦5組で優勝し、本戦出場を決めています。伊藤六段は藤井竜王・名人と同じく本格的な居飛車党で、プロ入り後の公式戦では居飛車しか指していません。中でも、藤井竜王・名人も得意とする、序盤に飛車先の歩を交換する相掛かりを全局の32.5%で指しています。伊藤六段は棋力を示すレーティングが全173人のプロ棋士で16番目の高位にあり、弱冠20歳にして棋界トップクラスの実力を持っています。早ければ今年11月からの竜王戦で藤井竜王に挑戦することになります。居飛車の本格派同士の対局が今から楽しみです。

筆者の最注目株は香川県高松市出身の藤本渚四段です。長い将棋の歴史において、香川出身棋士はほとんど見当たらず、藤本四段は47年ぶり2人目となります。昨年10月に17歳で昇段を果したばかりで、将棋界の最年少棋士です。彼の実力は本物で、今年2月に対局場を間違えて不戦敗になるまでデビューから破竹の6連勝を飾りました。その後も白星を重ね、デビュー以来の成績は11勝2敗です。これから力をつけていくことでしょうが、竜王・名人を破り香川初のタイトル獲得という快挙への期待に、胸が膨らみます。

また、かつての将棋を彩った羽生世代のライバル対決からも目が離せません。竜王戦では羽生九段、丸山忠久九段、佐藤康光九段が本戦トーナメントに駒を進めました。また、羽生世代よりも少し下の世代であるポスト羽生世代の三浦弘行九段も本戦に出場します。トーナメントに参加する11人の内4人が羽生世代です。また、6月からは50歳以上の棋士のみに参加資格のある達人戦が始まります。ここでは羽生世代はむしろ年少組でそれより上の谷川浩司十七世名人や羽生世代を育てた「島研」の主催者島朗九段も登場します。

 

AIの時代になろうと、人が将棋盤の前に座し、知力と体力の限りを尽くす対局をめぐるドラマへの関心はつきません。

 

読売新聞6日付18面「Z世代早熟で自由な傾向」

読売新聞6日付18面「一強―「人対人」のドラマ終わったか」

読売新聞オンライン 2月6日 「現役最年少棋士の藤本渚四段、対局会場間違え不戦敗…デビューから無敗の6連勝ストップ」

https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20230206-OYT1T50098/

朝日新聞デジタル6月5日「50歳以上「達人戦」、ドリームアゲイン! 将棋公式戦創設、谷川・羽生らシード」

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15654891.html

朝日新聞デジタル6月3日「将棋順位戦、組み合わせ決まる 名人への挑戦争うA級は14日開幕」

https://digital.asahi.com/articles/ASR636VY8R5VUCVL02V.html

 

参考資料

将棋連盟 第72期名人戦・順位戦 A級

https://www.shogi.or.jp/match/junni/2013/72a/index.html

将棋連盟 第36期竜王戦

https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/36/1hon.html

shogidate.info 伊藤匠六段

https://shogidata.info/personal/itotakumi.html

アイキャッチ画像は読売新聞オンライン6月6日「藤井七冠に思うこと」

https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230605-OYT8T50145/ より