教員免許を取得する教職課程で誰もが通過する道、教育実習。2〜3週間、実際に学校現場で生徒と接し、授業を担当し、現場のプロから直接教わる中で、机上の勉強だけでは見えてこなかったものが見えてきます。教員になるためにはなくてはならない経験だからこそ、カリキュラムに必ず組み込まれる単位教科です。
筆者も経験しました。その中で、どうしても必要性を感じられなかったのが、「手書きの実習簿」です。
実習では毎日、15〜20行ほどの記録を残さなければなりません。今日の学び、成果、反省などを書き出します。実習生が研修室などに残っている時は大抵、授業準備をしているか、これを記入しているかです。帰宅前に指導担当の先生に提出すると、教務主任や教頭、校長まで回覧され、それぞれの判子をもらわなければなりません。養護教諭でも、保育でも同じようなスタイルで単位を取得している人が多いようです。
同じ教職仲間と議論して、手書きにこだわる理由を考えてみました。「教員は現場でも手書きする場面が多いから」「目上の人に見せるものだから」「個人情報を実習生のパソコンに残さないため」「何かのデータのコピーを防ぐため」……どれもしっくりきません。
まず、現場でも手書きの場面が多い、というのはもっともです。しかしだからといって、子どもと向き合うことのできる、実際に授業をすることができる貴重な教育実習の期間に手書きの練習をするなんて非効率すぎます。教員に必要な手書きの能力を測るのは、毎日の実習簿でなく1枚の履歴書で十分です。実習中なら板書を確認すればいいでしょう。
目上の人に見せるものだから心のこもった手書きで、というのもおかしな話です。確かに、お礼のお手紙など、時には手書きだからこそ伝わる温かさがありますが、ここで必要なのは「真心」ではなく、その人が成長したかどうかがわかる「内容の濃いレポート」です。文字数の指定はなく、「決められた行数を埋めなければならない」とされていた友人は、大きな文字で、かつ幅をとって内容の薄いものを書くことで一刻も早く完成させ、授業準備を優先する作戦に出ていました。これでは本末転倒です。
個人情報を実習生のパソコンに残さないため、というのも、「手書きしかない」理由にはなりません。そもそも実習簿に生徒などの個人名を書かないようにすれば良いし、実習が全て終わったらデータを消すとか、ウイルスチェックをしてからパソコンを使うとか、いくらでも対策はできます。筆者も友人も、「いきなり手書きだと、整理された綺麗な文章を書けないから、一度パソコンやスマホで書いてからそれを写す」という手段をとることがしばしば。こういう人がいるのですから、最初からデジタルデバイスを使用することを想定して注意を呼びかけた方が効果的なのではないでしょうか。学校でもパソコンを使って生徒の成績処理をしているわけですから、そのノウハウこそ伝えるべきです。
パソコンでは誰かの書いた実習記録をコピーしやすい……というのも苦しい。コピーするような人はそもそも手書きでも誰かのを写すでしょう。その日、そのクラス、その人にしか学べなかったことがあるはずです。誰にでも書けてしまう当たり障りのない中身を提出するようであればコピーであろうとなかろうと判子を押してはいけないでしょう。
問題なのは、忙しい実習生の休息時間が削られることだけではありません。これをいつまでも続けていることで、間違いなく若者に教育現場への不信感を抱かせます。「まだこんなことに労力を割けと言ってくるの」「頭が堅すぎる」。そう思い、教員という選択肢を捨てる若者を増やす一因となるでしょう。優秀な人材を現場に送り込むためにも、教員教育の見直しを求めます。