佐渡金山を見学して

今年2月1日、佐渡金山をユネスコ世界遺産に推薦することで閣議了解したことが報じられました。新潟県が製作したパンフレットによると、2006年から新潟県と佐渡市が共同で調査研究を進めてきたそうです。4年後の2010年には、佐渡金山は「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」という名称で、各国がユネスコに提出する世界遺産暫定一覧表に記載されて世界遺産の候補地になっています。

佐渡には複数の金銀山があり、それぞれに独自の採取方法がありました。とりわけ古い金山が平安時代の「今昔物語集」にも登場していたとされる西見川砂金山。採取には、掘り起こした砂金を含む土を水で洗い流す「大流し」という技法が用いられていました。一方、江戸時代に本格的な採掘がなされたのは相川鶴子金銀山です。徳川幕府の直轄地として、石見銀山など日本各地から技術者を集めて、手堀りで採掘していました。金の発掘から小判の製造までを一貫して手掛けていたのは国内でも佐渡のみであると言われています。

一方、世界遺産登録を巡っては戦時中にあった朝鮮人の強制労働を巡って、韓国政府が強く反発していることも報じられています。過去には、2015年に世界遺産に登録された8県11市からなる「明治日本の産業革命遺産」でも徴用された朝鮮半島出身者がいたという批判があります。この問題について日本政府はどのように向き合ってきたのでしょうか。

 

外務省のホームページには、世界遺産に登録された際の日本代表団の発言が記録されています。

日本は、1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である

この発言を踏まえて、政府は20年3月に東京都新宿区の総務省第二庁舎別館内に産業遺産情報センターを設置しました。3つのエリアからなり、そのうち1エリアでは現在、徴用工に関する展示が行われています。70人の証言が文章や映像で展示され、最終的に強制労働の証拠はなかったという内容です。

 

東京都新宿区にある産業遺産情報センター(6日、筆者撮影)

 

真実の歴史を追求する端島島民の会が制作したパンフレット。産業遺産情報センター内で配布されている(筆者撮影)

 

佐渡市内には、佐渡金山についての情報施設として市が運営する「きらりうむ佐渡」という施設があります。金山の歴史や採掘の方法について動画で分かりやすく説明されていますが、朝鮮人労働者への言及は全くありません。また、金山の坑道を見学できる「史跡 佐渡金山」は、江戸時代と明治時代の鉱山の様子を中心に展示しており、ここでも朝鮮人労働について知ることはできませんでした。

今年10月には岩波新書より「佐渡金山と朝鮮人労働」というブックレットが刊行されました。当時の記録から、朝鮮人の坑内への集中配置があったことや、逃亡防止のための様々な施策が講じられていたことなどが紹介されています。

安倍晋三元首相は1月27日、佐渡金山の世界遺産登録を巡り「歴史戦を挑まれている以上、避けることはできない」と自身のフェイスブックに投稿しました。では、歴史戦に勝ち負けはあるのでしょうか。史実に基づく歴史を、正しく後世に伝える世界遺産となってほしい。佐渡を訪れての感想です。

 

佐渡市にある「きらりうむ佐渡」(15日、筆者撮影)

 

動員された朝鮮人が食事をとったとされる共同炊事場跡(佐渡市相川大工町で筆者撮影)

 

参考記事:

24日付 朝日新聞夕刊(4版)「尽きて朽ちても まとう生命力 北沢浮遊選鉱場跡」

8月13日 読売新聞オンライン 「佐渡金山再提出 世界遺産登録へ万全の準備を」

7月28日 日本経済新聞電子版 「佐渡金山の世界遺産登録、24年以降に ユネスコ不備指摘」

 

参考資料:

外務省ホームページ 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」のユネスコ世界遺産一覧表への記載決定(第39回世界遺産委員会における7月5日日本代表団発言について)

竹内康人(2022)「佐渡金山と朝鮮人労働」岩波ブックレット