柳川中にあふれる白秋の足跡 昔と今を繋ぐもの

11月2日は北原白秋の命日。福岡県柳川市は日本を代表する詩人が育ったまちで、ここでの生活は彼の詩にたびたび登場します。1911年に発表した詩集「思ひ出」は白秋が注目されるきっかけとなった作品で、造り酒屋で育ったからこその情景が描かれています。43年、亡くなった後に刊行された「水の構図」では、故郷である柳川の情景と白秋の思い出が実に深く著されており、人生の最後にはやはり、故郷を思い浮かべるのだとしみじみと感じさせられます。

筆者が白秋を知ったのは小学校の図書館。15年ほど経って初めて白秋を知ったと感じた。(11月3日筆者撮影)

筆者は11月3日に柳川へ行き、白秋をめぐる旅をしてきました。朝から柳川へ降り立ち、まずは川下りへ。船頭さんが当地にまつわる話をしながら約3キロのコースを一時間ほどかけてゆっくりと下ります。舟はかくかくと何度も角を曲がります。柳川市はまち全体にお堀が張り巡らされており、水郷柳川とも呼ばれる水の都です。川のほとりには白秋にまつわる石碑を数多くみることができました。たとえば、短歌「水のべは 柳しだるる 橋いくつ 舟くぐらせて 涼しもよ子ら」を刻んだ弥兵衛門橋の歌碑、童謡でも有名な「まちぼうけ」の銅像があります。船頭さんがまちぼうけの歌を歌ってくれるなど、川を下るだけで、白秋を存分に味わうことができます。

川沿いにある「まちぼうけ」の像。船頭さんが教えてくれるので、見逃すことはない。(11月3日筆者撮影)

川幅よりも狭くV字に作られた橋。景観、白秋の歴史を楽しむだけでなく、先人の知恵から生み出された仕組みを学ぶことができる。(11月3日筆者撮影)

その後、生家へ向かいました。1901年白秋が16歳の時、近くで起こった大火が飛び火し、生家へ移りました。母屋と酒蔵一つを残し全焼。北原家の家運は傾いたようですが、詩歌への情熱が抑えられず、父に内緒で19歳のときに上京します。現在、生家は復元され、県文化財史跡の指定を受けています。詩集や当時使っていた道具、愛用していた服などが飾られる記念館となっています。展示は白秋の柳川時代から青春時代、遍歴の時代、壮年の時代、豊熟の時代と区分され、その人間らしさや暮らしぶり、詩に影響をあたえた数々の人やできごととともに「白秋の世界観」を体感できるように構成されていました。

商店街の中に急に現れる白秋生家。まちに馴染んでいた。(11月3日筆者撮影)

2日の命日を挟み、1日からの3日間、毎夜白秋祭水上パレードが行われます。ライトアップされた船が午後6時ごろから柳川を上り始めます。貸し切り船一艘あたり11万円ほどするため、学生である筆者は残念ながら乗ることができず、川辺から眺めるだけでしたが、川に複数の灯りが灯り、お祭りムードに一変します。

暗くなりはじめ、灯りがともる。昼の世界観とはガラッと変わ一変するるため、見ているだけで楽しい。(11月3日筆者撮影)

今年は没後80年。今もまちに生きた名残があり、まち全体で伝えていく。その取り組みによってまちが活きる。過去の人物を歴史や文学の教科書にとどめるだけでなく、その人生ごと伝えているからこそ、見る人に思いが伝わるのだと感じました。

 

参考記事:

1日付 朝日新聞デジタル「水郷・柳川で白秋祭水上パレード始まる どんこ舟、夕闇にゆらり」

2日付 読売新聞オンライン「掘割進む 晩秋の明かり 白秋祭パレード」