黙食と子供たち

9月5日から27日まで、さいたま市内の公立中学校で教育実習をしています。進むICT教育に徹底したコロナ禍での感染防止、自分の中学時代とはまるで異なり、日々驚かされることばかりです。筆者が中学校を卒業してから、実に8年も経つ中で、教育現場も変わりつつあります。

担当教科は美術です。実習先の学校は小規模のため、美術科の教諭は1人のみ。実習期間は指導教員について回り、学年問わず全クラスの授業を受け持ちました。

受験科目と異なり、美術は各クラスとも週に1回しか授業がありません。そのため、子どもたちと授業で関われるのも週に1回。授業での交流が少ない分、給食やお昼休みの時間にコミュニケーションを図ろうと意気込んでいました。

しかし、肝心なことを忘れていました。「黙食」です。給食の時間は、向き合わないように席に着き、会話を控えるようにして飛沫が飛び散るの防いでいました。配膳の時間も同様です。会話といっても「少なめでお願いします」といった量の調整を頼む程度。異様な雰囲気でした。

筆者が中学3年生の頃に来た実習生は、給食の時間にローテーションで生活班に入り、クラス全員と会話を交わす機会がありました。そのことがきっかけで徐々に話せるようになり、昼休みに遊ぶ約束を交わしたことも。

その機会が奪われた今、生徒34人全員を知るきっかけは乏しく、昼休みの過ごし方でも日々難しさを感じています。同様のことは、先生方にも言えるかもしれません。そして、生徒たちも黙食の影響を大きく受けていると考えます。

生活班での給食の時間は、普段休み時間を一緒に過ごす友人以外と話すことができる貴重な時間のはずです。給食での会話を通し、相手の良いところや意外な共通点を見つけることもできます。本来なら、食の豊かさならぬ心の豊かさが育まれる時間でもあります。

ちなみに、今年の6月半ば、福岡市教育委員会は、クラスメートらと給食の時間を楽しむ食育の重要性を踏まえ、制限を緩和しました。これまで通り、手洗いの徹底など基本的な感染対策は継続しつつ、大声でなければ会話は可能とされています。

大学でも、飲食可能な教室では至る所に「黙食」の張り紙が貼られています。しかし、自分を含め徹底している学生はほとんど見たことがありません。飲食店でも同様です。さいたま市内の母校の高校でも黙食指導は特にないそうです。

一部だけが厳しいことには異論もあるようですが、学校を信頼している保護者を前に、生徒を守るべき学校が黙食の徹底をしていることは当たり前のことだと思います。ただ一つ言えるのは、黙食は青春を脅かす危険があるということです。

クラスでは、担任の先生がプロジェクターで合唱コンクールの参考動画(Youtube)を流すなどの工夫をしていました。生徒会選挙の政見放送が流れる日もありました。給食の時間を少しでも有意義なものにしようとする実習先での試みは広まってほしいものです。

実習期間はあと2日間。コロナ禍で多くのことが希薄になっているからこそ、生徒たちとの関わりを今一度見直し、精一杯務め上げたいです。

 

参考記事:

6月15日 読売新聞オンライン『福岡市立学校 「黙食」を緩和 市教育通知、会話可に=福岡』

6月18日 日経電子版『「黙食」の給食、学びの時間に研究発表や献立解説』