多様な入試形態 推薦を侮るなかれ

「内部推薦っていうレッテルは一生続くからね。」

中学に入学したばかりの私に、母はそう言いました。その言葉の意味を、大学生になった今になって特に感じています。附属高校からの内部推薦だということを明かすと、毎回のように楽をしている、ずるいという言葉が付きまとうからです。就活をしている今、エントリーシートで出身高校を聞かれることも多々あり、いまだに後ろめたいような気分になる時があります。

26日付の読売新聞の投書欄では、「推薦入試 どう思う」というテーマで、近年の大学入試に対する現役の高校生の思いが投稿されていました。今回の調査によると、総合型選抜や学校推薦型選抜を支持する声は全体の8割を占め、推薦入試をはじめとする入試形態の多様化は着々と受け入れられているようです。しかし一方で、今でも一番努力したとみなされるのは一般入試です。このような「一般入試至上主義」の裏返しというべき推薦入試に対する蔑視は、根強く存在していると感じています。

その中でも特に侮られるのが、内部推薦型入試です。筆者自身も、中学受験を経て、そのまま高校、大学とエスカレーター型で進学した内部進学者ですが、散々楽をしていると罵られた経験があります。

悔しくはありますが、楽をしているという指摘には頷けてしまう部分もあります。総勉強時間や基礎的な学問の習得の観点では遠く及ばないからです。それは、内部推薦以外の推薦入試にも当てはまる部分があるでしょう。ただ、正確には、「一般受験者の方が、多くの時間を受験勉強に割いている」と言うべきではないでしょうか。推薦入試に対し、努力が足りていないとする背景には誤った理解があります。受験、入試を意識しないで済むことで、得られることも少なくないのです。

私の高校では、受験が無いからこそカリキュラムの制約なく、先生の興味、専攻に沿った個性的な授業が展開されました。筆者が一番印象に残っているのが現代文の講義です。教科書はほとんど使わず、先生が用意した本や映像が使われました。

印象的だった授業では、岡崎京子著の「リバースエッジ」という漫画が題材になったり、朝井リョウ著の「何者」という就活をテーマにした小説を取り上げたりしました。特に後者は、高校生ながら大学生の就活について考えるという、面白い体験でした。定期テスト前には、放課後10人以上が自主的に集まり、意見や作品の解釈をめぐって議論したことを思い出します。このような高校での経験は、自分の進路選択に大きく役立ったと感じています。

『「推薦」か「一般」かにかかわらず、合格後に勉強する人はするし、しない人はしないのではないだろうか。』

投書欄の投稿にこんな意見がありました。これに尽きると考えます。勉強時間の多寡にかかわらず、目標をもって何らかの努力をしていれば、そこに優劣があるはずがありません。そして、それが評価される場として、学校推薦型選抜や総合型選抜など、多様な制度が用意されるべきでしょう。私も胸を張って附属校出身だと言えるように、今後も高校で得た経験や知識を活かしていければと思います。

 

参考記事:

26日付 読売新聞朝刊(埼玉12版)12面(英語・投書)「気流 推薦入試どう思う」