離婚・ひとり親 実際の感覚は…?

20日の各紙では、離婚後の共同親権や養育費についてのニュースが掲載されていました。現行の単独親権では、離婚後は片親のみが親権を持ち、もう片親は育児に関わりにくいなどの指摘があり、「親としての責任」を求める法案となりそうです。一方で、DVなどが原因の離婚の場合には、共同親権ではなく、片親のみが親権を持つという従来の法律も適用できるよう、併記するとのこと。ただ、共同親権という選択肢が増えることで、無理やり共同親権を迫られるケースも懸念せねばなりません。

さて、筆者は母子家庭、いわゆるひとり親です。父の記憶は全くなく、名前も顔も声も覚えていません。1歳から2歳というあまりにも小さい時に離婚し、そのあと会っていないからです。実家では祖父母と叔母、そして母と5人暮らしでした。働いている母の代わりに幼稚園のお迎えは祖父母が来てくれました。祖父の自転車の後ろに乗って歌を歌いながら家に帰る。途中でスーパーに寄ってメロンのアイスを買ってもらう。ときにはちょっと贅沢をしてハーゲンダッツを食べる。そんな記憶が残っています。母からだけでなく、家族からも沢山の愛情を注いでもらったと改めて実感しています。

一方で、なぜ私にはお父さんがいないのか、と疑問に思い、不安や焦りを感じた時期もありました。地域では運動会があります。友人のお父さんが子どもをトロッコにのせ、必死に引っ張っている姿を見て、うらやましいなと思ったこともあります。何よりも辛かったのが保育園や幼稚園での父の日イベントです。似顔絵を描いて感謝を伝えよう、という時間に、友人は「お父さんの絵描きたくない〜違う絵がいい!」など楽しそうに話していたのですが、父という存在が分からないため、そうした文句を言えることさえも羨ましいと思ったものです。いつも父の代わりに祖父を描いていました。「なんでお父さん描かないの?」と友人から聞かれ冷や汗をかいたことは今でも鮮明に覚えています。「うち、お父さんいないから」とは言えず、「おじいちゃんのほうが好きだから」と子どもなりに「自分が他と違うこと」を認識して、「ふつうである」ことを求めていたのだと思います。他者と比べてしまう。違うことへの葛藤が起きていました。

人生の最も大きな反省は、小学校の5年生ごろに「なんで離婚したの。離婚したから今幸せじゃないんだ。お父さんがいたらもっと幸せだった」と母に泣きながら言ってしまったことです。母の息をのむような表情も思い出します。自分の失敗や不幸を片親であるためだとして母を責めていました。自分がみんなと違うことが嫌で、もう変えることができない現実に苛立ちを覚えていたのです。捻くれていました。最近読んだ『星を掬う』という町田そのこさんの本の主人公は、母に捨てられたと感じて生き、それが自分の不幸の原因なのだと、すべての理由にこじつけている様子が描かれていました。非常に共感したと同時に、自分の当時の姿を客観的に写し出され、恥ずかしく、母に対して申し訳なく感じました。

母が影でどれほど頑張ってくれているのか。私のことを応援してくれているのか。祖父母や叔母がこっそりと、しかし筆者の心無い発言に対し怒りながら教えてくれたことで、筆者は母へ感謝し、母からもらっていた愛情に気付きました。自分の頑張りを自慢したり、それを理由に私に何かを強制したりすることなく、育ててくれていたからです。母子家庭でかわいそうとよく言われてきましたが、大人になった今、そんなことは感じません。

違いとの葛藤に関しても、ひとり親の子どもに限らず、成長において他人と比べて自分を認識するという過程は誰しもが通る道なのではないでしょうか。筆者の場合は、そもそも父の記憶がない、子育ての助けをしてくれる家族がいたなど、離婚し、母子家庭であるとはいえ非常に恵まれた環境だったと実感しています。母には苦労をかけましたが、母子家庭であっても必ずしも不幸なわけではない、これが私の家族の形だと胸を張って言えます。

離婚に関してですが近年のデータによると、2021年の離婚件数は18万4386組です。2002年の28万9836組をピークに減少しています。周りに親が離婚している友人が少なかった印象がありますが、筆者の事例はおそらくピーク時のことでしょう。一方、現在は離婚に関する周辺の話や、ニュースをよく聞くようになりました。「離婚」という選択肢が根付いたのでしょうか。もしくはタブーとして認識されなくなったのでしょうか。どちらにせよ、広く議論される話題となりました。

令和3年(2021)人口動態総覧の年次推移より筆者作成

離婚において子の幸せを第一にとは言いますが、子が小さい時に離婚が成立すれば、子の意思は反映されにくいというのが現状で、親の意思で決まることがほとんどです。親権に関しては親同士で議論し、決定する場合はもちろんありますが、親の正義感や義務感からの決定であるとの見方もできるでしょう。このような場合の問題点として、先述した人生での大反省のような事例が生じてしまいます。他者との違いに悩み、葛藤し、今の状況を誰かのせいにして周囲を傷つけるような振る舞いの根底には「自分は決めてないのに」という思いがあると感じています。それは親にも同様で、仕方なく、義務だからとの思いで親権を持つと、壁にぶつかったとき言い訳にしてしまう可能性が高まってしまいます。

一方で、離婚をきっかけに親が親権を再認識することは、予測できない将来に対しての決意表明という側面があると思います。経済的にも精神的にも子の幸せと向き合う。そんな機会になるのではないでしょうか。筆者も母の選択があったからこそ、不自由で不幸だと感じさせない家庭生活を送れたと思います。

親権を持つということは子どもだけでなく、親の人生にとっても大きな決定となり、家族の形を決める分岐点になります。ひとり親はかわいそう、親としての責任を果たすべきだと表面上の議論をする前に、現在ひとり親の子どもや親のリアルな話を聞いてみるのはどうでしょうか。共同親権について今後パブリックコメントを求めると記事にはありました。筆者の家庭はあくまでも一例です。できる限り多くの家族が対応できる法律を求める分、新たに生まれる課題や現在すでにある課題を真剣に検討し、整備をしていかなければなりません。どのようなパブリックコメントが得られるのか、楽しみです。

 

参考記事:

20日付 読売新聞朝刊(福岡13版)1面「離婚後「共同親権」案」

20日付 朝日新聞朝刊(福岡12版)46面社会「離婚後の共同親権 複数案」

20日付 日本経済新聞朝刊(福岡14版)3面総合3「離婚後の共同親権 選択肢」

 

参考資料:

令和3年(2021)人口動態総覧の年次推移