TV報道、重責の自覚を 今のままでは信頼おけぬ

放送法第4条

放送事業者は、国内放送および内外放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

(1) 公安及び善良な風俗を害しないこと。

(2) 政治的に公平であること。

(3) 報道は事実をまげないですること。

(4) 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

放送の世界を律する「放送法」。その目的の一つは、放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすることです。

では、今回の参議院議員選挙前のテレビ報道は、「健全な民主主義の発達」に資すると言えたでしょうか。私は疑問を抱いています。

安倍元首相が襲撃され亡くなった日の夕方、ほとんどのテレビ局が長時間の特別番組に切り替え、事件について大々的に取り上げていました。しかし、捜査が始まったばかりですからまだ事件の詳細は一部しかわからない。繰り返し、襲撃された際の映像や、元首相の功績を報じていました。「前代未聞の事件を前にテレビ局の日頃の取材体制と総合力が発揮された一日となった」と締めくくられている日刊ゲンダイDIGITALの記事では、フジテレビ、NHKなどのテレビ局が、大事件をどう追ったか纏められています。

果たして当時テレビ各局は、この惨劇が民主主義の根幹である選挙の最終盤を迎えた時点で発生し、そこではマスメディアがどういった役割を果たすべきなのか十分に自覚していたのでしょうか。実際の報道の様子を見ていても、探偵のように最新情報を追いかけ、高まっている社会の関心をさらに掻き立てることばかりを目指していたように思えてしまいます。

最長政権を誇り、国の顔となって国際社会でも力を発揮した彼は、日本人にとって非常に大きな存在だったことは確かです。しかしだからと言って、選挙前に公共性のある放送であれほど彼の功績ばかりを並べ、褒め称えるのは、国民が現政権を担う与党を冷静に評価し、多角的に政治のあり方を考える機会を奪う原因になり得ます。日本人の政治への関心の低さは度々問題視されますが、日頃政治に親しんでいない人に大きな影響が及びかねないことは、十分に予測できたはずです。

今回の選挙で「改憲派」である政党の議席は衆議院、参議院ともに3分の2以上となりました。憲法改正が発議されれば、権力を縛る最高法規である憲法という存在を国民一人ひとりが強く意識することが期待されます。国民主権を維持し、基本的人権を尊重するために国の体制はどうあるべきか。世界平和を目指していく中での日本の役割は何か。市民一人ひとりが視野を広げ、見つめ直すべきとき、マスコミは多角的に報道してくれるでしょうか。選挙期間中に「安倍氏の悲願だった改憲の前に・・・」と感情に訴えるように報じたテレビ局を、私は信頼できません。

ネット社会になり情報が溢れているからこそ、マスメディアはその培ってきた取材する力と伝える力を発揮しなければなりません。そこに携わる一人一人が、その重責を再確認することを求めます。また、私たち市民も、「第四の権力」とも言われる報道のあり方を批判的に見つめ直すことが必要です。報道の仕方そのものにとどまらず、大手メディア中心で運営される「記者クラブ」の在り方、米FCCのような独立行政委員会ではなく総務省が免許を交付する放送の仕組み、それを利用した政府からの圧力など、自由で独立した報道、公正な報道の環境を損ないかねないものにも目を向けていくべきでしょう。戦前の日本や、今起きているロシアでの言論統制が生み出した惨事を忘れず、自分ごととして捉え、教訓にしていかなければなりません。