文化は「守る」もの?

日本の文化と聞いて、何を思い浮かべますか。漫画やアニメなどのサブカルチャー、あるいは着物や歌舞伎などの伝統文化でしょうか。

先日、三重県桑名市にある六華苑に訪れました。桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅として大正2年に建設されたものです。その最大の特徴は、洋館と和館、日本庭園で構成されていることです。洋館と和館がつながっており、洋館から美しい日本庭園を望むことができます。洋館部分は、鹿鳴館などを設計した「日本近代建築の父」コンドルが手がけています。建築家として名高いコンドルですが、日本庭園や日本画のような日本の文化にも造詣が深かったそうです。

和館(左)と洋館(右)を併せ持つ六華苑の外観。手前には日本庭園が広がる =5月4日筆者撮影

洋館と和館をつなぐ部分 =5月4日筆者撮影

 

「文化って何だ?」、私が六華苑で感じたことです。和館や日本庭園は、文字通り「日本の文化」が反映されています。しかし、洋館だって、立派な「日本の文化」の象徴です。明治期に欧米風の生活・文化様式が一般大衆に次第に浸透していき、それまでの「日本の文化」から変化していく明治・大正期の「日本の文化」をこれもまた表象していると考えられるからです。

ある文化をはっきりと定義付けたり、説明したりすることは、とても困難なのではないでしょうか。文化はシームレスなものであり、時代や地域によって明確に区別する必要はないのかもしれません。

 

スイスは15日に国民投票を実施し、米ネットフリックスなどの動画ストリーミングサービスが自国内で得た収益の一部を国内の映画製作に投資するよう義務付ける法案「ネットフリックス法」を賛成多数で可決しました。欧州では、ポルトガルで同様の法律が制定されているほか、デンマークやスペインも導入を検討しています。また、フランスとイタリアはストリーミングサービス事業者に収益の一定割合を欧州の現地語コンテンツに投資することを義務付けています。安価で便利なコンテンツが大量に流入するなかで、自国の文化産業を守る必要があるからでしょう。

しかし、法規制によって自国の文化を守るという方法で、文化を豊かにできるのでしょうか。文化は流動的であり、はっきりとした境界もありません。一体何をもってして、自国の文化とするのでしょうか。「ラスト サムライ」は、日本人俳優が多く出演し、日本で撮影された映画ですが、監督や主演はアメリカ人です。「Havana」はキューバ出身のアメリカ人歌手カミラ・カベロにより歌われたラテンミュージックを基調とした曲ですが、英語の歌詞です。このように、あるコンテンツがどこの文化に属するのか分けるのは、とても難しいことです。私たちの文化は、さまざまな文化が流れ漂うなかで、豊かに育まれるものだと私は考えます。

自国の文化産業を「守る」ことは確かに重要です。しかし、文化は単に「守る」ものではなく、「育む」ものだということを忘れてはいけません。

 

参考記事:

16日付 スイスで「ネットフリックス法」可決、動画業者に国内投資義務 – ロイター芸能ニュース – カルチャー:朝日新聞デジタル (asahi.com)

参考資料:

六華苑パンフレット


追記

そもそも明治期に欧米文化が日本に流入しなかったら、「日本の文化」という言葉も「日本の文化」とはこういうものだという定義づけもなかったのではないのでしょうか。だとすれば、自文化に異文化が漂流してくることで、自文化が特徴づけられ、その文化らしさが強調されていくと考えられます。その意味では、法規制によって自国の文化を守ろうとすることは、ナンセンスだとも言えるかもしれません。やはり文化は、さまざまな文化と触れ合うなかで、磨かれ色鮮やかになっていくのでしょう。