新東名の歴史、調べてみました

16日午後、新東名高速道路の神奈川県内13キロ区間が新たに開通しました。神奈川県内の伊勢原大山IC―新秦野ICの開通により、およそ253キロにおよぶ新東名の9割が完成したと報じられています。

新東名の構想そのものは1980年代にまでさかのぼります。82年3月6日付の朝日新聞では、「第2東名・名神や1万キロ高速道路網」という見出しで、建設省(現:国土交通省)の諮問機関である道路審議会が第2東名の建設について提言したと伝えられています。「1年半近くかけてまとめあげたものだが、審議会が具体的な道路づくりにについて提言するのは異例のことという」と説明されており、当時も注目を集めていたことが分かります。同月15日付、朝日新聞の社説「道路審議会の提言に注文する」では、審議会が一般財源からの繰り入れも増やしたいとした提言について疑問を呈していました。

当時の高速道路は、揮発油税や石油ガス税などからなる道路特定財源制度をもとに整備されていました。自動車利用者の負担によって道路を整備するという理屈です。この制度では、道路整備の予算が確保されるため、下水道や公園、住宅などよりも優遇されているとの批判も80年代にあったようです。

一方、2000年代には状況が逆転します。公共投資が少なくなり、道路特定財源の歳入が歳出を大きく上回る状況となります。そこで、道路特定財源制度は2005年の「道路特定財源の見直しに関する基本方針」より、一般財源にする検討が始まります。2008年には財源の用途をめぐって当時の麻生首相が、国から地方への配分額に言及したうえ、地方交付税として配分する、と発言したことで大きく動き出しました。この政治判断は論議を呼びましたが、2009年に一般財源化することが決定します。

 

9割がた完成した新東名高速。95年に本格着工してからも、2005年には道路公団が分割民営化するなど、道路建設が政治問題と化すなかで翻弄されてきた歴史がありました。15日付の静岡新聞の社説は、新東名開通による地域振興について取り上げています。工場立地が進み、工業製品の出荷額が増加した事例もあるそうです。「道路族」と呼ばれる議員がいることからも分かる通り、利権が絡みがちなのが道路建設です。とはいえ、新東名が貫く地元の静岡新聞をはじめ、さまざまな報道を読む限り、この道路は一定の需要があると思います。

JRバスは21年10月28日より、東京―京阪神の高速バスを新東名高速経由に切り替えることを発表しました。新東名は東名と比べて、緩やかなカーブで勾配の角度も小さく抑えられているようです。次回、夜行バスに乗るときは、東名・新東名のどちらのルートなのか確かめてみよう。新東名の新区間開通のニュースを見て、そう思いました。

 

参考記事:

16日 時事通信 「新東名、9割完成 神奈川県内13キロ開通」

16日付 読売新聞夕刊(4版)9面「外環トンネル 再開難航」

15日 静岡新聞 社説「新東名開通10年 経済効果は期待通りか」 

2019年8月27日 日経電子版「新東名の全線開通3年遅れに 中日本高速、工事遅延で」

1982年3月6日 朝日新聞朝刊 3面「第2東名・名神や1万キロ高速道路網」

1982年3月15日 朝日新聞朝刊 5面「道路審議会の提言に注文する」

 

参考資料:

国土交通省 「道路特定財源の一般財源化について」

ジェイアールバス関東株式会社 「東京・新宿~京阪神(昼行・夜行)が大きく変わります」

NEXCO中日本 「安全性向上3カ年計画の取組み状況」