【福島県沖地震ルポ】震度5強 初めてわかる怖さと備えのなさ

 

■地震は突然

今月16日午後11時半ごろ。東北旅行の真っ最中だった私は、岩手県一関市のホテルの6階で、浴衣に身を包みリラックス。友人と楽しくお酒を酌み交わしていました。2日かけて震災遺構も巡り、被災した方々に思いを致すことの大切さを感じていた旅の終盤の出来事でした。

初めは震度3から4くらいでしょうか、経験したことがあるくらいの横揺れでした。「地震だね」と言った私の表情には、まだ明るさが残っていたと思います。すぐ収まるだろう、そうしたら話の続きをしよう、と思っていましたが、揺れは続きます。徐々に冷静でなくなっていきました。

「ドア開けよう」

友人がドアと窓を開け、部屋の中心に行こうと声を掛けてくれました。私はどんなことを考えていたのか、その時何をしたのか。お酒に酔っていたこともあり、あまり覚えていません。友人の切り替えの早さと、身を守るためにすべき行動を思いつく瞬発力に救われました。

1回目の揺れが収まって程なくして、2回目の地震に襲われました。初めて経験する大きな揺れでした。携帯の緊急地震速報のアラームが鳴ります。床に座り込んでも自分の体を支えられず、ベッドのへりを握りました。怖くて友人と身を寄せ合い、長い揺れが収まるのを待ちました。

揺れが過ぎ去った後、全開にしていたはずのドアは3センチほどの隙間を残して閉まっていました。高さ30センチほどの加湿器はテーブルから落ち、床が水浸しに。両手でなければ持ち上げられないくらい、水がいっぱいに入っていたものでした。

▲地震で台からずれたテレビと、倒れたタオルスタンド。

一旦建物から離れようと、動きやすく暖かい格好に着替え、携帯と財布を持ち1階へ。フロントは暗く、私たちと同じように降りてきた宿泊客は1人だけでした。この日私たちは、少なくとも10組程の宿泊客を確認していましたから、動きの少なさは意外に感じました。

建物から離れ、家族と安否確認の電話をした後しばらくして部屋に戻ると、私服姿のホテル従業員がやってきました。無事の確認と、部屋替えの提案をされました。私たちの一つ上の階の部屋が、水浸しになっているというのです。おそらく配管が壊れてしまったとのことでした。階段には、バケツを持って昇る従業員の姿が見えました。改めて部屋を確認すると、数箇所壁紙が剥がれ、亀裂からはくずが落ちていました。

▲宿泊した部屋の壁。揺れている最中は必死で気が付かなかった。

▲廊下のつなぎ目の天井に開いた穴と、そこから落ちたくず。

▲配管の破損により水浸しになったトイレ。17日朝撮影。

 

■足りなかった想像

部屋を変えてからもしばらく、どうすればいいのかわかりませんでした。テレビでは余震への注意を呼びかけています。日付も変わり、旅に疲れていましたが、このまま寝て良いものなのか。浴衣に着替えて良いものなのか。土砂崩れの心配はないのか。火事が起きたらどうするか…。被災して初めて、地震のあらゆる危険を考えました。結局、地震が起きてもしっかりと行動すれば生き延びることはできるだろうと、携帯の充電をし、荷物をまとめた状態で眠りにつきました。

この旅行で震災の跡地を巡り、当時の状況を想像してきたつもりでした。3.11の犠牲者やその遺族、目の前で津波を見た人々の気持ちに思いを致してきたつもりでした。もちろん、そこで学んだことは大きいですし、だからこそすぐに「逃げる」という行動に移せたのだとは思います。しかし、「今自分の身に降りかかったら」という想像は足りませんでした。退路を確保するとか、火の元を確認するとか、知識としては頭にあったけれど、いざその場に遭遇した時、もし一人だったら果たして冷静に対処できただろうか。生き延びられただろうか。自信はありません。

私の住む愛知では、南海トラフの地震がいつか必ず来ると言われています。高校生までは、地震訓練が定期的にありましたが、大学生になってからはそうした機会がありません。地震への心構えや備えは不十分だと、この経験で改めて痛感しました。

今回私たちが心配していたのは建物の倒壊でしたが、後々調べてみると、建物の築年数や構造によってとるべき行動が変わってくるようです。どれくらいの地震で倒壊する危険があるのかわかっていれば、より良い選択を取れます。今回は咄嗟に外に出ましたが、暗くて寒い外に行くことによるリスクとも比較をしなければならなかったかもしれません。スマホで情報収集することに慣れた私たちは、当初テレビやラジオをつけることをすっかり忘れていましたが、やはり非常時は、より正確で速く情報を届けてくれるメディアが大切です。行動のヒントにもなったでしょう。

携帯の充電が20%を切っていたことにも怖さを感じました。できるタイミングで電源に繋げておくこと、家族の連絡先のメモを紙で持っておくこと、災害用伝言ダイヤル171の使い方を覚えておくことは、心の余裕を持つことに繋がると思います。また退路を確保する際は、余震に備え、開けた扉を固定しておくことが必要です。

いつ、どこで地震が来るかわからない。何度も何度も言われてきたことですが、今回それを身に染みて感じました。「いまここで起きたらどうするか」を考える訓練の回数を、これからはもっと増やしていきます。

▲地震を体験する前に訪れた南三陸町防災対策庁舎(左)と、気仙沼市伝承館(右上下)。