少し振り向くと由布岳が広がっている。足元には、昨日降った雪がまだ少し残っていた。日中でも凍えるような寒さ。私がいるのは大分県日出町(ひじまち)のとある用水池。見た目は普通のため池だが、実は論争の種になっている。
イスラム教の戒律では火葬は許されず、土葬することになっている。大分県別府市のイスラム教徒の団体「別府ムスリム協会」は3年前、この農業用の溜池から北に約1.2kmほど離れた土地を購入し、土葬の墓地を設ける許可を求めて町と協議を進めてきた。しかし、周辺住民は墓地からの排水が池に流れ込むことによる水質汚染や農作物の風評被害を懸念。20年8月、100人が反対の陳情書を町長と町議会に提出し、町議会は賛成多数でこれを採択した。
溜池の水は川に流れる。川の両脇には田畑が広がっていたが、冬はあまり作付けがされておらず、人影が見られない。日暮れ時、一台の軽トラがやってきた。運転手の男性(80代)に話を聞いた。畑からほど近い立命館アジア太平洋大学(APU)の食堂に時々訪れているらしい。留学生と日本人が半分ずつ在籍する国際色豊かなキャンパスの中で食事をしている時は、「他の国の文化について特に何も思わなかった。そういうもんなんだなという感じ」。しかし、3年前、土葬の問題が浮上してから、いろいろ考えるようになったという。別府ムスリム協会とはこれまで何度も交渉を重ねてきた。
「イスラム教徒の土葬についてどう思いますか?」。ストレートに聞いてみると、意外な答えが返ってきた。「俺たちは、ここに住んでいるイスラムの方の土葬は別にいいと思っとるんよ。問題は、他の県とかに住んでおられた方々の遺体も埋めるということよ。なんでうちの地域だけって思う」
NHKの調べによれば、21年6月時点で、イスラム教徒が土葬できる墓地は全国に9か所。多くが関東地方に集中している。そのため、福岡市で亡くなったムスリムの男性の遺体が、土葬できる山梨県の墓地まで約15時間かけて運ばれるという事例もある。西日本新聞には、「近くにお墓がほしいのは九州のムスリムみんなの願い」という声が載っていた。日出町での土葬が実現すれば、九州全土から遺体が運ばれてくる可能性があり、私が取材した農家の男性はこれを問題視していた。「そりゃー、鹿児島や福岡から運ばれるってなればここ(日出町)が目立つでしょ。そしたら(農作物が)売れなくなるから、無理だなぁ」
こんな質問もしてみた。「日出町で亡くなったムスリムの方の土葬については構わないと仰っていましたが、それはなぜですか?」。男性の答えは、「土葬は昔、そこらじゅうでやっとったからね」。え、ほんとに?私は耳を疑った。
調べてみると、日本にもかつては土葬文化があった。明治政府は、仏教における死者への弔い方、つまり火葬に否定的であったため、土葬を推奨。1873年には火葬禁止令まで出された。しかし、都市部を中心に土葬用墓地が不足していたこともあり2年後には廃止。同じころ、火葬炉が出現し、火葬が広まった。全国の火葬率は、1896年の26.8%が1955年で54%、84年には94%と急速に伸びており、現在は99%だ。土葬はどこか遠い国の話だと思っていた筆者にとっては衝撃的なデータだ。取材した男性の祖母は土葬、祖父は火葬だったらしい。
日出町のムスリムの弔い方を巡る問題については、なかなか決着がつかない。墓地の新たな候補地の周辺住民からも反対の声が上がった。ただ、今回話を伺った農家の男性に限っては、土葬そのものを嫌っているようではなかった。土葬によって水質が悪化するなどということは一言も言っていなかった。あくまで、他の地域や時代の状況を考慮し、世間の人々の土葬に対する嫌悪感を考えた上で、土葬に反対していた。自身が納得しているかどうかに関わらず、消費者の意向を思い描いて行動を選ぶ。不確かな情報が出回る風評被害に立ち向かう時には、そうした「自分ではない誰か」の視点を強く意識するのかもしれない。
参考記事:
大分合同新聞 2022年1月26日付朝刊23面「日出町のムスリム墓地代替地、杵築市山香町の住民が反対へ」
読売新聞オンライン 2021年6月19日「ムスリム墓地建設計画、近く町判断へ…協会は国に陳情書『土葬もできる多文化の墓を』」
朝日新聞デジタル 2020年12月5日「ムスリム専用の土葬墓地、反対陳情を採択 大分の町議会」
西日本新聞me 2020年11月3日「『やっと見つけた場所』イスラム土葬墓地に”待った”住民から反対」
参考資料:
新谷尚紀、関沢まゆみ、『民俗小事典死と葬送』、吉川弘文館、2005年
FNN プライムオンライン 2022年2月2日「イスラム教徒向け土葬墓地巡り揺れる地域」
NHK NEWS WEB 2021年6月17日「在日イスラム教徒の土葬墓地整備を 大分の教徒団体代表が陳情」